家族の廃止? それとも年金の廃止?─「老後資金2千万円不足」問題の行方 - 編集長コラム

家族の廃止? それとも年金の廃止?─「老後資金2千万円不足」問題の行方 - 編集長コラム

 

2019年10月号記事

 

編集長コラム Monthly  Column

 

家族の廃止? それとも年金の廃止?

「老後資金2千万円不足」問題の行方

 

 参院選前、金融庁の「老後資金が2000万円不足する」という報告書が国民にショックを与えたが、今度は厚生労働省が年金の"定期健診"にあたる「財政検証」を近く公表する。

 担当官庁が「これだけ年金が減ります」と正式に発表することになり、再びショックが広がりそうだ。

 前回2014年の「財政検証」では、「現役時代に夫の月収が40万円の場合、給付額が月約12万円に減る」という最悪のケースの試算も示した。今回はこれをさらに下回ると見られる。

 年金給付を減らさないためには、増税するしかない。十分な社会保障改革が行われなければ、消費税が70%近くまで引き上げられるという試算もある。公的年金は「進むも地獄、退くも地獄」の状態に置かれている。

 

 

「家族の廃止」を実行

 国民の「年金不安」は大きくなるばかりだが、なぜこんな事態に至っているのか。

 公的年金を世界で初めて実現したのはドイツの宰相ビスマルクで、1889年、高まる共産主義運動への対抗策として導入。相手勢力を切り崩すため、共産主義の政策を取り込むものだった。

 共産主義の"教祖"マルクスは著書『共産党宣言』で「家族の廃止」を主張していた。子育ても老後も国家が面倒を見るという思想だ。

 それまで家族同士が愛情にもとづいて助け合っていたが、「他人同士の全国民で助け合う」という制度がつくられ、世界に広がった。日本も戦後、「国民皆年金」の制度ができた。当時の厚生省幹部は「子供が親の扶養の責任を負うことは誤り」として「家族の廃止」の思想をそのまま実行しようとした。

 確かに「全国民で助け合う」のは素晴らしいユートピアだけれども、国家が家族の代わりになるのは簡単なことではない。結局は、政府として責任を負い切れず、給付を減らすか、際限なく増税するかという結果に陥っている。

 

 

残酷な「国営ネズミ講」

「全国民が家族」を実現しようとしたのが年金の「賦課方式」で、現役世代の収入からリタイア世代に「仕送り」する制度。「仕送り」は家族や親族の間なら成り立つが、まったく知らない相手同士で成り立つものではない。愛情なしに「家族になれ」と強制されている状態だ。

 だから、今の年金制度は、「ネズミ講」と似たような犯罪的な状態に達してしまっている。「ネズミ講」では、後から参加した新規加入者のお金をそのまま先輩加入者に配分する。新規加入者が増え続ければ成り立つが、どこかで減少に転じるので必ず破たんする。公的年金も少子高齢化で、新規加入者は減り続けており、破たんに向かっている。

 若い世代ほど年金給付が減るのは破たんの兆候だ。80歳前後の人は払った分より3000万円多くもらえる。一方、今の10歳前後の人は払った分より2800万円以上少なくなると計算されている。残酷としか言いようがなく、「国営ネズミ講・被害者の会」ができていいレベルにある。

 

 

 

善意による地獄への道

 ただ、すぐに破たんしないのは、増税によって損失を補てんできるからだ。実際に今も3割は税金による補助金が投入されており、今後、消費税を70%まで上げていけば、政府は「年金は百年安心」と言い続けることができる。

 この、合法で補助金投入を受ける「国営ネズミ講」は、政治がつくり出した一種の"地獄"ではある。安倍政権は「全世代型の社会保障をつくる」と言って、教育無償化なども加え、「全国民が家族」の範囲を拡大しようとしている。与党の公明党も他の野党も大賛成だ。

 みんな善意でやっているわけだが、「地獄への道は善意で舗装されている」という西洋の格言の通り、政府の真ん中に"悪魔が棲んでいる"状態と言っていいかもしれない。

 

 

「老後の責任は家族に」

 幸福の科学の大川隆法総裁は7月の法話「幸福への論点」で年金問題についてこう語った。

第一義的には家族、第二義的には親族にも責任があると思うし、それ以外は、隣近所から自分に関係のあるいろいろな方々、篤志家などが、晩年困った方がいたらお助けする義務はあると思います

 また、今後、失政によって高齢者が困窮したら、幸福の科学が宗教として「孤独老人を放っておきません」「全幅の信頼を置いてください」と述べた。

 仏教的な価値観にもとづけば、人間はあの世から魂修行のためにこの世に生まれ変わってきている。家族・親族や同じ地域の人たちなど縁ある者同士が助け合って生きることは、人生の目的の一つだ。

 大川総裁の指摘は、マルクスの『共産党宣言』以前の、人類が営々と築いてきた当たり前の社会のあり方に戻ることを意味する。

 定年とは関係なく、健康であるかぎり働き続ける。貯蓄をしたり、民間の年金保険をかけたりして長生きのリスクに備え、その中で家族で助け合う。

 そうした「生涯現役社会」をつくるために数多くの仕事を創り出すことは、企業経営者の重要なミッションとなる。大成功した経営者の中から篤志家が出てきて、宗教などが運営する慈善団体に寄付し、弱者を救済する。

 それでも救い切れない人たちについては、政府や自治体が助ける。「福祉」が登場するのはこの最後の部分だけでいい。

 

 

「福祉国家は終わった」

 今の日本のような福祉国家は、「働き続けること」や「貯蓄」「保険」「篤志家や宗教による救済」などを一切カウントしていない。これらを全部すっ飛ばして、文字通り「福祉」だけが肥大化している。

「福祉」を縮小し、政府だけが弱者を助けるのではなく、個人、家族、親族、企業、宗教、慈善団体などがみなで支え合うのが今後の社会のあり方だろう。「国民全員が家族」は巨大すぎるので、身近な関係での愛情を取り戻すということでもある。

 経営学者ドラッカーは著書『断絶の時代』でこう語った。

「福祉国家は終わった」「19世紀に家族から政府に任されるようになった仕事の数々を、非政府組織に任せなければならない」

 この世の魂修行の意味の一つは、自助努力で自分の人生を成り立たせ、縁ある人の人生を少しでも助けられるようになることにある。こちらのほうがユートピアに近く、"悪魔が棲む"領域を狭めていくことができる。

 

 

 

 

スウェーデンも年金改革

 世界では「福祉国家」の改革が進んでいる。理想的な「福祉大国」とされたスウェーデンでは、「賦課方式」から実質的な「積立方式」に転換。世代間の「仕送り」ではなく、「年金個人勘定」に積み立てられ、運用利回りと合わせて記録されるようになった。これなら「民営化」の手前まできていることになる。

 世界銀行は公的年金を最終的に民営化すべきと提言しており、日本の年金改革も基本的にはこの方向しかないだろう。

 以下は、本誌でこれまで提案してきた年金改革案の骨格だ。

  •  (1)20~30代の若い世代には「積立方式」の年金をつくる(民営化も可能)。民間の年金保険に最低限入ることを義務づけ、どちらかを選択できる形でもいい。

  •  (2)リタイア世代はできれば元気な間、働き続けられることが望ましい。年金給付を75歳ぐらいまで引き上げ、「生涯現役社会」を目指す。

  •  (3)今の公的年金は破たん処理するしかない。この制度をつくり運営してきた「国営詐欺」の犯罪者を処罰する。

  •  (4)破たん処理にあたっては、公的年金の160兆円余りの積立金を国民に返還してもいいが、この資金を航空・宇宙・防衛などの分野の未来産業づくりに生かす。これは政府を巨大な「福祉」事業体から「投資」事業体に転換することを意味する。優秀な目利きを集め、新産業創造に成功すれば国民に返済することができる。

  •  (5)働き続けることができず、身寄りのない高齢者については、政府・自治体による生活保護で助け、路頭に迷わせることはしない。福祉国家は終わったが、「福祉」の役割はしっかりと残る。

「年金廃止」は衝撃的だが、国民にとって実はメリットが大きい。本誌では男性が75歳まで働き続ける場合、収入が4300万円増えると試算した(*)。今の年金制度では10歳前後の人が2800万円以上も損をする制度だから、この差は大きい。

(*)本誌2017年2月号で、22歳の男性が75歳まで働き続けると仮定した場合、企業負担分を合わせ約4300万円の年金保険料を納めることになり、年金廃止によってその分の収入が増えると試算。

 

進む各国の年金改革─公的年金を縮小

  • スウェーデンは実質的に「積立方式」に転換
  • ドイツは公的年金を縮小し、貯蓄を奨励
  • ジョージアは公的年金廃止(40歳以下は新年金創設)

 

逆行する日本の年金改革─社会保障が肥大化

  • 少子化の中、世代間の仕送りの「賦課方式」維持
  • 教育無償化など「全世代型の社会保障」に転換

 

 

「与え合う社会」をつくる

 個人が「働き続けること」や「貯蓄」「保険」、企業家が「仕事を創ること」「弱者を助けること」は、どれも自助努力と資本主義の精神にもとづくものだ。

 資本主義は弱肉強食や格差拡大というイメージがつきまとうが、本来そうではない。「成功者には弱者を守る責任がある」とする騎士道精神が伴う。19世紀イギリスの経済学者マーシャルは「経済騎士道」の考え方を説いた。

「経済騎士道が認知されれば(中略)資金を貧者のために有効活用し、貧困という最大の害悪を取り除ける」

 幕末期の農政家で日本の「資本主義精神の父」、二宮尊徳は「譲」を説き、「収穫で得た富を分限に応じて、子孫や親戚、友人、郷里、国家、そして未来のために与えるべきだ」と語った。

 尊徳は縁ある人の人生を支える人をたくさん生み出すことによって「与え合う社会」をつくることを目指した。

 資本主義の精神は本来、愛や慈悲を含んでいる。これを教えることができるのが宗教だ。だから宗教は政治に積極的に関わっていかなければならない。政教分離を間違って理解し、「宗教政党は嫌だ」と言うのであれば、政府の真ん中に"悪魔"が居座り続ける。

 政府だけの「愛」に頼って、結局は年金を減らし続けるか。それとも家族や企業、宗教、政府それぞれが可能な範囲で「愛」を与え合うか─。この選択肢が突きつけられている。

(綾織 次郎)

 

写真提供:bee / PIXTA

 

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