強制収容所から生還したウイグル人のメヒリグルさん。スカイプが通じなくなる懸念があり、録画ビデオで証言した。

《本記事のポイント》

  • 習近平政権は、ウイグル人イスラム教徒を地上から消し去ろうとしている
  • 強制収容所では、知識階級である女性たちが、劣悪な環境で拷問を受けていた
  • メヒリグルさんは「ウイグル人を助けて。保護のために力を貸して」と悲痛な訴え

新疆ウイグル自治区では、ウイグル人が強制収容所に収監される事例が、数多く報告されています。

拘束されている人数は、100万人を超えるとも言われています。イスラム教を捨てさせるための教育や拷問が行われ、死者も数多くいると見られます。

6日に東京都内で開かれた講演会(明治大学現代中国研究所、アムネスティインターナショナル日本の共催)では、強制収容所から奇跡的に生還したウイグル人女性が、自らの体験について語りました。また、日本在住ウイグル人10人も初めて実名で登壇し、自身や家族に起きた出来事を話しました。

今回は前編として、強制収容所から生還したメヒリグル・トゥルスンさんの証言について、ご紹介します。

【1回目の収容】1人の子供は遺体で帰ってきた

続いて、強制収容所から奇跡の帰還を果たしたウイグル人女性、メヒリグル・トゥルスンさん(29)が、あらかじめ録画したビデオを通じて自身の体験について証言しました。

メヒリグルさんは、数カ国語を話せる才媛で、以前は商社に勤務していました。エジプトに留学していたウイグル人と結婚し、三つ子を育てていました。

1回目の収容は、2015年5月。夫をエジプトに残したまま、里帰りのために降り立ったウルムチ空港で拘束され、生後45日の子供たちと引き離されました。

海外留学の理由などについて、3時間の尋問を受けた後、口をテープでふさがれ、手錠と足鎖をかけられて、刑務所に移されました。そこでは7日間、尋問を受けたといいます。その後、一般の強制収容所に移され、3カ月監禁されました。

メヒリグルさんによると、1回目の収容はその後に比べればましだったそうで、食事も中華まんやおかゆが与えられました。しかし、3カ月で体重が11キロ減ったといいます。

同年7月、3人の子供が重病になったため、メヒリグルさんは仮釈放され、警察に監視されながら、子供たちを診察した小児科病院に向かいました。そこで彼女が直面したのは、子供の死でした。

「子供たちはみな、首から右を手術されていました。そして一人の子が遺体で帰ってきました。手術をしたのは栄養を取らせるためだったと聞きましたが、どのような死因でなくなったのか、今も分かりません」(メヒリグルさん)

【2回目の収容】「どうしたら自殺できるか」ばかり考えた

2回目の収容は、2017年4月。メヒリグルさんは2人の子供を育てるため、地元警察の許可を得た上で働いていました。ある日、公安部国内安全保衛局から「事務所に来るように」との電話があり、飛行機で急いで向かうと、その場で拘束されました。

3日間不眠不休で、「外国で誰と知り合いになったか」「ムスリムなのか」「礼拝をするのか」「なぜアラビア語を学んだのか」などについて、繰り返し尋問されました。ひどく殴られて、右耳が聞こえなくなったといいます。

「全身電気ショックも受けて、すごく痛かったです。思わず、『アッラーよ!』と叫んだところ、警察官に『お前のアッラーはどこにいる。もしアッラーがいるなら、お前を救ってみせればいい』と皮肉を言われ、気を失いました。その後、『私を殺してほしい』とお願いしましたが、『聞かれたことをすべて自白してからだ』と言われました」(メヒリグルさん)

その後、黒袋をかぶせられ、手錠と足鎖をつけて県病院に連れて行かれ、血液検査や腎臓検査などをしました。その後、強制収容所に入れられました。裸にされて、男性警察に調べられた後、青い制服を着せられ、54の背番号をつけられました。

メヒリグルさんは、「今まで受けたことのない屈辱を受け入れられず、『どうすれば自殺できるか』ばかり考えました。しかし、外出もできず、自殺の道具も手に入らない状態だったので、できませんでした」と語ります。

収容所では、50人ほどの女性と同じ部屋で生活しました。習近平国家主席の長生きを祈り、中国共産党を信仰の対象にするよう指導され、中国語を学んだといいます。人の入れ替わりは頻繁で、メヒリグルさんは3カ月間、計68人の女性と過ごしました。その間、9人の女性が亡くなったと語ります。

「十分な食事もなく、睡眠不足で、シャワーも浴びることができません。常に4つの監視カメラで監視されています。また部屋の隅にある小さな穴をトイレ代わりに使い、全員に丸見えの状態です。部屋が狭いので一度に寝ることができず、2時間ごとに交代で眠ります。全員の女性の手足が腫れていました。これは、注射や薬を投与されたためです。注射をされると、全身がだるくなり、記憶も失います」(メヒリグルさん)

8月、精神的に病んでしまったメヒリグルさんは、精神病院に入院しました。実家に帰されて通院することになりましたが、政府職員2人が24時間、監視しています。家族の会話も聞かれるため、メヒリグルさんは家族に収容所での体験を何1つ話せなかったといいます。

【3回目の収容】「無期懲役か、死刑」と宣告

3回目の収容は、2018年1月。メヒリグルさんは「無期懲役か、死刑」だと宣告され、連行されました。無期懲役・死刑の囚人服であるオレンジ色の制服を着せられ、尋問や拷問を受けたといいます。そして「お前は間もなく死ぬから、子供たちに残したいメッセージを書け」と紙とペンを渡されました。

メヒリグルさんは、警察官に「2人の子供はエジプトの国籍を持っているから、エジプトで問題になるだろう」と話しました。すると、エジプト政府に子供のことが伝わり、エジプト政府職員がメヒリグルさんの面会にやって来ました。同政府の働きかけのおかげで、メヒリグルさんは2カ月以内に戻ることを条件に、幼い子供をエジプトに連れて行くことが許されたのです。

しかし、メヒリグルさんの一族26人は拘束されており、警察は「2カ月以内に帰ってくれば、家族は解放してやる。お前が世界中どこにいても、捕まえられる」と脅してきました。メヒリグルさんも帰国するつもりでした。

メヒリグルさんは3回搭乗拒否されながら、なんとかエジプトに到着しました。そして生き別れていた夫は、2016年にメヒリグルさんの後を追ってウイグルに入国して拘束され、懲役16年の刑に処せられたことが分かりました。

その後、中国当局から電話があり、メヒリグルさんは家族と会話しました。しかし、悩みに悩んだ末、「残虐なことが祖国で起きていると世界の人に知らせなければならない。この問題と向き合わなければ、良心が許せない」と帰国しないことを決意したのです。

アメリカ政府に接触したところ、非常に親切にしてくれ、「アメリカがあなた方を守る」と言ってくれたそうです。現在、メヒリグルさんはアメリカに渡り、米政府に守られながら生活しています。しかし、家族の消息はまったく分かりません。

「強制収容所の女性たちは高学歴の知識人が多く、中国語の学習も職業訓練も必要がない人たちです。訴えたいことは、ウイグルの人たちを助けてくださいということです。ウイグル人は迫害を受けており、中国当局の狙いは、ウイグル人を地球上から消すことです。各国政府には、中国当局の迫害を止めさせ、ウイグル人を保護するために、力を貸していただきたいです」(メヒリグルさん)

遅かれ早かれ、すべてのウイグル人が強制収容所に入れられる

質疑応答はスカイプで行った。メヒリグルさんが住むアメリカは深夜2時だったが、熱心に答えていた。

またメヒリグルさんは、インターネット中継を通じて、質疑応答に応じました。

強制収容される人とされない人の違いについて問われると、メヒリグルさんは、「収容される人に明確な基準はなく、収容されていないウイグル人も自由が大きく制限されている」と述べました。

「中の人と外の人の違いは、服の違いだけです。すべての家庭に政府職員が常駐して、会話や食べ物、外出まで、すべてを監視しています。収容されていない人も、収容は時間の問題です。村の役所に『いつまでに何人』というノルマが課せられています。収容所が空き次第、収容されて、新たな収容所もつくられています。どこかの時点で100%のウイグル人が収容所を体験することになります」

現在のウイグル人口は約2300万人。すべての家庭が監視され、強制収容所に入れられている状況は、「国家が丸ごと巨大な刑務所になっている」状態に等しいといえます。

習近平政権が、ウイグルでこうした悲惨な体制をつくっているにもかかわらず、日本政府は抗議しないどころか、習近平氏を歓待しています。一体どういうことでしょうか。あまりに非情すぎるのではないでしょうか。

(山本泉)

【関連書籍】

幸福の科学出版 『習近平守護霊 ウイグル弾圧を語る』 大川隆法著

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2103

【関連記事】

2019年5月15日付本欄 ウイグル、チベット、内モンゴルは現代の奴隷制度──幸福実現党の大川総裁が講演「自由・民主・信仰の世界」

https://the-liberty.com/article/15756/

2019年2月号 取材相手の牧師が逮捕 敗れざる信仰者たち - 中国宗教弾圧ルポ

https://the-liberty.com/article/15220/

2018年12月号 Topics - 幸福実現党外務局長がウイグル人権活動家と対談 活動の原点は、神への信仰

https://the-liberty.com/article/15032/