「特攻の母」は「米兵のマーマ」でもあった 日本を守り抜いた無名の英雄たち Part.3

2018.07.29

特攻隊員たちと鳥濱トメ。1945年撮影。写真提供:ホタル館富屋食堂

2018年9月号記事

明治維新150年

命もいらず、名もいらず
日本を守り抜いた

無名の英雄たち


contents


「特攻の母」は「米兵のマーマ」でもあった

大東亜戦争

鳥濱トメ

Tome Torihama

1902年、鹿児島県最南端の漁村に生まれる。27歳で知覧町に開いた富屋食堂での兵隊への献身的な働きが、戦後、書籍や映画などで取り上げられる。92年没。享年89歳。

鹿児島県川辺郡(現・南九州市)知覧町にかつて存在した知覧飛行場。大東亜戦争末期には、本土最南端の特別攻撃隊(特攻隊)出撃基地として、多くの戦闘機が飛び立っていった。

隊員のほとんどは10代後半から20代前半の青年たち。彼らが母のように慕ったのは、基地の近くにあった富屋食堂の女将・鳥濱トメだった。

危険も覚悟で隊員を世話する

軍の指定食堂だった富屋食堂で、トメは隊員たちに食事を提供するだけでなく、何かと世話を焼いていた。

特攻という、死をもって事を成す任務に就く彼らに、トメは「せめてここにいる間は、できることは何でもやってあげよう」と、「玉子丼が食べたいな」と言われれば自分の着物を売ってでも卵を買い、風呂に入れて背中を流すなど、献身的に支え続ける。隊員たちは次第にトメを「おばさん」から「お母さん」と呼ぶようになった。

トメの孫で、現在は語り部として当時を伝える鳥濱明久氏はこう話す。

「特攻隊員は手紙などの私信は出せず、家族にも検閲を通った遺書を一通しか送れませんでした。そんな彼らに、トメは食堂の片隅でこっそりと手紙を書かせ、隊員がいつも胸ポケットに入れていた家族や自分の写真とともに預かって、憲兵の目を盗んでポストに入れてやりました。

見つかれば軍事機密を漏らしたとして絞首刑です。しかしトメはそれも覚悟の上でした」

次ページからのポイント

米兵にも伝えた慈しみの心

「貴様は生きろ」生死を超えた友情

靖国神社の清掃を16年続けたドイツ出身の「靖国おばあさん」

命と引き換えに県民を救った知事

「国のため」「世界のため」に命を懸けた日本人たち / インタビュー 池間哲郎

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