裁判で負けた「週刊文春」(2月12日号)が、宗教法人幸福の科学に対する1ページ全面の謝罪広告を載せたにもかかわらず、「謝罪広告の文面は、本誌の自発的意思で書かれたものではない」と言い訳記事を掲載し、さらなる名誉毀損をしていることについては、ザ・リバティWebでも報じた。

この週刊文春の記事について、同誌の元編集長であり、現在は月刊「WiLL」の編集長を務めている花田紀凱氏が、産経新聞の連載「週刊誌ウォッチング」で、「ころんでもただでは起きない精神はさすが『文春』」とコメントした。

花田編集長には、本誌で取材をさせてもらったこともあり、今後とも仲良くしていきたい。だが、同じような感覚が日本中に広がると、最終的に国民が大きな不利益をこうむるので、この問題に一言付け加えておきたい。

民事裁判は、個人の間などで発生した問題に、第三者の裁判所が入って問題解決の落としどころをさぐる救済手段と言える。その証拠に、民事法に「自力救済の禁止」というものがある。これは、たとえ100万円を貸した友人がお金を返してくれないからといって、暴力を振るって取り返したり、相当額の貴金属を奪うようなことを禁じたものだ。

だからこそ、裁判で決まったことは守らなければいけない。だが、今回の週刊文春の記事は、この「法の支配」を根底から崩すようなことをしている。

週刊誌などが嘘やねつ造した記事で、個人や団体を傷つけるケースは数え切れないが、報道被害にあった人々の多くは、泣き寝入りを余儀なくされているのが実情だろう。たとえ裁判で勝ったとしても、嘘の記事によってでき上がってしまったマイナスの印象を完全に拭い去ることは難しく、社会的信用を元の状態に戻すこともできない。

仮に、今回の週刊文春の「謝罪広告に対する反論記事」を許してしまえば、記事で傷つけられた個人や団体を救済する手段はなくなる。その行き着く先は、パリで起きた新聞社襲撃事件や、江戸時代の仇討ちといった実力行使が横行する、非文明的な世界への「昔返り」だろう。

民事裁判による問題の解決は、財産や名誉を失った被害者が武力などの手段で報復することを防ぎ、平和裡に解決する文明国の作法だ。その意味でも、やはり、週刊文春の「ころんでもただでは起きない精神」をほめてはいけない。(真)

【関連書籍】

幸福の科学出版 『「文春」に未来はあるのか ~創業者・菊池 寛の霊言~』 大川隆法著

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幸福の科学出版 『芥川龍之介が語る「文藝春秋」論評』 大川隆法著

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