2015年3月号記事

「永遠の0」も描かなかった真実

日本軍は世界一人道的だった

日中戦争や第2次大戦の日本軍をどう評価するか――。戦後70年を迎え、安倍晋三首相は、終戦の日に新談話の発表を予定している。夏に向け、中国や韓国は「日本軍は極めて残虐だった」という主張を強めていくだろう。しかし、日本軍の真の姿は、大ヒット映画「永遠の0」も描かなかった「世界一、人道的な軍隊」だった。

(編集部 山本慧、居島有希、遠藤明成)


本誌contents

Part 1 本誌P.44 日中戦争では残虐だったのか?

服や靴の盗みすら許さなかった日本軍

近現代史研究家 水間政憲

Part 2 本誌P.50 捕虜を虐待したのか?

日本軍は捕虜にゴボウを食べさせ「虐待」とされた

防衛大学校名誉教授 田中宏巳

Part 3 本誌P.54

他民族を差別したのか?

ユダヤ人を救った日本軍の功績はユダヤ人の常識

ヘブライ大学名誉教授・歴史学者 ベン=アミー・シロニー

Part 4 本誌P.57

沖縄を見捨てたのか?

日本軍は沖縄県民を疎開させ玉砕・特攻した

沖縄と尖閣を守る実行委員会代表 惠隆之介


contents


Part1 日中戦争

「日中戦争では、日本軍は残虐だった」という評価があります。本当にそうだったのでしょうか。

1938年の「長沙大火」で、逃げ遅れた中国人の老婆を避難地まで背負う日本兵(写真集『支那事変』より)。

ウソ 日本軍は残虐だった

真実 人道的だった

南京の焼け跡から孤児を助けた松井大将

大虐殺が始まったとされる12月13日の南京の市街地。しかし、大規模な戦闘、虐殺は見受けられない(『支那事変画報』1938年1月27日発行より)。

「南京大虐殺」が中国やアメリカのつくり話である事実は、これまでにも本誌で紹介してきました。その虐殺の汚名を着せられた南京戦司令官の松井石根大将には、こんなエピソードが残されています。

1937年12月、南京攻略戦が続いたある夜、松井大将の通訳官であった岡田尚は、宿舎の外から赤ちゃんの泣き声がするのに気づきました。外に出た岡田は、焼け跡に中国人の女の赤ちゃんを発見。風呂に入れ、毛布にくるんで松井大将に見せに行きました。松井大将はその赤ちゃんを抱き、慈しんで涙を流しました。そして、自分の名前から一字をとって「松子」と名づけ、日本に帰国するまでかわいがり続けました。

戦争中に、中国人の孤児の命を救う松井大将が、20万人の虐殺を命じたはずがありません

次ページからのポイント

本当の日本軍の姿とは

世界一厳しかった日本軍の様々な軍規、軍律

今も昔も優しい日本人