2015年の開学を目指す幸福の科学大学に対して、下村博文・文部科学相は、「不認可」を言い渡した。
文科相に「不可」を答申した審議会は、その理由について、「『霊言(霊言集)』を根拠とした教育内容を体系的に学生に教授することが可能とは認められない」と発表している。
宗教偏見を盾に、批判を避ける文科省
それを受けてネット世論などでは、「霊言をそのまま教える学校なんてありえない」と、幸福の科学大学側を批判する声も出ている。この背景には、新興宗教への警戒心もあるだろう。
だが、そもそも今回の判断は、行政が一方的に教育内容に介入したもの。一部の大手マスコミからは、明確な基準に基づいた公正な判断だったのか問題提起する声もある(関連記事参照)。文科省や審議会は、新興宗教へのマイナスイメージを利用して、そうした追及から逃れているようにも見える。
審議会は「霊言が思想の科学的根拠」と判断
しかし、この「幸福の科学大学が『霊言』を教える」という認識自体、正しいのだろうか。
審議会は、一科目の参考書籍『幸福の科学大学創立者の精神を学ぶ1(概論)」の、以下のような記述を持ち出している。「『焼かれて何もなくなっても、死んだあとの人には個性というものが残っていて、考える力がある』ということを証明するのが、一連の『霊言集』の機能であるわけです」
これを取り上げて審議会は、「これらの著作物では、大川隆法氏の基本的な思想を証明するためにいわゆる『霊言(霊言集)』を科学的根拠として取り扱う旨の記述がなされている」と断じている。
そして、大川総裁の思想に基づく学問内容を教えることは、「科学的合理性が立証できていない『霊言(霊言集)』を本大学における教育の根底に据える」として、同じ大学への「不可」を答申したのだという。
大学は霊言を「分析対象」とする
しかし、『幸福の科学大学創立者の精神を学ぶ1(概論)』には、次のような記述もある。
「今、私は、霊的存在を証明しようとしていますが、ここまで量が出てきますと、やはり、一種の学問的研究の対象には、十分になります。宗教学としても、例えば、『霊言集が二百七十冊以上も出ている』というのであれば、十分、学問的対象として研究するに値するものだと思うのです」
つまり、霊言現象は、宗教法人・幸福の科学の中で、「霊界の証明」として行っているもの。一方、幸福の科学大学では、その数百人、数千事例という膨大な霊言を、学問対象として研究しようというスタンスなのだ。これを否定すれば、世界的なキリスト教、仏教、イスラム教の研究や、日本のあらゆる新興宗教を分析対象とする宗教学さえも成り立たたない。
審議会はこの点を踏まえず、一科目の参考書籍の一部分をもって、「幸福の科学大学は霊言を教える」と主張し、国民にあえて誤ったイメージを持たせるような発表をした。審議会や文科省、及び、「不認可」判断の責任者である下村文科相は、その点についても、詳しく説明を尽くす義務がある。
【関連記事】
2014年11月18日付本欄 「なぜ幸福の科学大学だけ?」 朝日・東スポが宗教大への認可行政に問題提起
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2014年11月18日付本欄 【大学不認可問題】文科省が異議申立てを却下 「慎重な手続き」は全くとられていない
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2014年11月17日付本欄 【大学不認可問題】幸福の科学大学の不認可は、事実上の、だまし討ちだった