文科省が問題視した大川総裁の霊言集

2015年の開学を目指していた幸福の科学大学に対し、下村博文・文部科学大臣が「不認可」を言い渡した。

理由は、ある科目の参考文献の中に、大川総裁の行う「霊言」に関する記述があったこと。そこを取り上げ、「科学的根拠を持って一般化・普遍化されているとはいえず、学問の要件を満たしているとは認められない」のだという。

この判断の是非をめぐり、19日付朝日新聞と東京スポーツが、幸福の科学と文部科学省の、両主張を紹介する記事を掲載した。

議論の焦点は「なぜ他の宗教大学はいいのか」

両主張の焦点となったのは、「他にも宗教教義を教えている大学はあるのに、なぜ幸福の科学は不認可なのか」ということだ。

学校法人・幸福の科学学園は、文科省の言い分に対して「科学的根拠が学問の前提というなら、キリスト教系大学などは成立しない」といった内容の異議申し立てを行った。

朝日新聞はそれに関連して、「キリスト教人間学」が全学共通の選択必修科目となっている上智大学、天理教学が選択必修とする天理大学の例を紹介している。

「学問性」の基準が曖昧

では、幸福の科学大学の「霊言」はなぜ駄目なのか。文部科学省は東京スポーツの取材にこう答えている。

「宗教を裏付けるものに、歴史的蓄積と研究の成果、文献があります。しかし、幸福の科学さんの『霊言』は学会の中で研究がされておらず、科学的・学問的なアプローチがなされていません」

しかし、その「蓄積がある」「科学的・学問的である」ことの基準は曖昧だ。東スポは「蓄積というが、宗教系の大学にはキリスト教系や仏教系のような2000年にわたるものもあれば、100年に満たない新宗教系もある」と疑問を呈した。

朝日新聞も、「文科省は新興宗教による大学設置に戸惑ったのではないか」という、大学ジャーナリストのコメントを紹介している。

つまり、今回のほかの宗教系大学が認可され、幸福の科学大学が不認可だったことに、合理的な根拠があるとはいえない。そこに疑問が出てきている。

明確な根拠がないにも関わらず、ある学問の是非を人為的に判断すること自体が、「学問の自由」を侵害している。文科省はその深刻さに気付くべきだ。

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