2010年に開校した幸福の科学学園那須本校。初の受験生から2年連続で東大合格者を2名ずつ輩出。昨年は早慶にも29人が合格した(卒業生98名中)。チアダンス部も米国際大会で1位を獲得するなど、文武両面で大きな教育成果を残している。

2015年の開学を目指していた幸福の科学大学の設置に対し、下村博文・文部科学大臣は「不認可」を言い渡した。この判断が、憲法的にも、手続き的にも、問題だらけのものであることは、本欄でも指摘している(関連記事参照)。

しかし、何にも増して無視できないのは、同大学の建学趣旨や教育課程を知り、そこで学ぶことを心待ちにしてきた生徒たちがいるということだ。

幸福の科学学園の学生たちは、新大学への入学を目指して勉強に励んでいた。彼らに「不認可」の結果を知らせることになったのは、幸福の科学学園宗教教育担当の竜の口法子氏。

以下は、学生たちに不認可を知らせたときの様子を描いた、竜の口氏の寄稿だ。「学問の自由」を侵すというのはどういうことか、よくわかる内容となっている。

緊急の全校集会で「不認可」を告げる

審議会の答申の結果を待っていた10月29日の夕方、全校生徒は帰りのホームルームで、記念講堂に緊急で集まるよう、各担任から告げられました。

集まってきた生徒たちは、誰もが「認可」を疑っておらず、興奮気味でした。特に高校3年生にとって、幸福の科学大学への入学は、高1のときからの3年越しの夢。彼らは、私の「幸福の科学大学が認可されました!」という声に合わせ、サプライズとして感謝のパフォーマンスをするつもりで、ひそかに練習もしていたようです。

この子たちに、いったいどんな顔をして「不認可でした」なんて言えばいいのでしょうか。しかし、言わなくてはならない。私は檀上に上がり、事実を告げました。

「幸福の科学大学は認可されませんでした」

そう言ったとたん、私の目からは涙があふれてきました。全校生徒500人はしーんと静まりかえり、誰も声を発しません。しかし、私が檀上から下りると、あちこちから一斉に、生徒たちの泣き叫ぶ声が聞こえてきました。高校3年生が嗚咽し、崩れるように泣く姿が、目に飛び込んできました。

それだけ彼らは、幸福の科学大学で学ぶことを、心待ちにしていたのです。文科省は、通知一つで子供たちの夢を打ち砕きました。

ティッシュが散らばる寮の部屋

この子たちは8月、すでに完成間近な大学建設現場まで見ています。建物を実際に見て、来年4月から、新しい勉強に励む自分たちの姿を、毎日イメージしながら勉強してきました。理不尽な文科省の判断を「わかりました」と受け入れられるはずがありません。

「不認可」を告げた日の夜は、女子寮のあちこちから、泣き声が聞こえてきて、私も一睡もできませんでした。

翌朝、心配になった私は、数人の女子生徒の部屋に行ってみました。部屋には、涙を拭いたティッシュや、その箱が散らばっていました。かわいそうに、一晩中ぼろぼろ泣きあかしたのでしょう。目をぷっくりと腫らせて、開けられない子もいました。

「現実を受け入れられません」「不認可なんて、嘘ではないですか」「本当は認可されたんではないですか」「他に行きたい大学が見つかりません」と迫ってくる子供たち。日本の他大学を調べ上げた上で、第一志望を幸福の科学大学にすると決めたのです。

子供たちは大人の保身を全て見抜いている

文科省が提示した「不認可」の理由は、高3生にも説明しました。誰も納得しませんでした。当たり前です。それが論理破たんした理由であることくらい、あの子たちならわかります。「心の教え」を3年も学んでいるんです。大人の嘘もごまかしも、自己保身も、全部見抜いています。

幸福の科学大学の不認可は、多くの若者たちの人生を変えました。あの日の、子供たちが泣き叫ぶ声は、今も耳から離れません。私はこの声を一生、忘れないでしょう。

宗教教育担当 竜の口法子

【関連記事】

2014年11月13日付本欄 文科省の「後づけ不認可」に幸福の科学大学関係者も唖然

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2014年11月12日付本欄 【大学不認可問題】下村文科相による霊言本への「出版妨害」こそ不正行為だった

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2014年11月号記事 「幸福の科学大学・待望論」渡部昇一・小宮一慶・守屋洋らが語る

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2014年12月号記事 「幸福の科学大学・待望論Part 2」日下公人・潮匡人らが語る

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