2014年11月号記事

日本発

Happiness Theory Saves The World

世界を救う「幸福学」

立宗以来、1700冊を超える著書を世に問い続けている大川隆法・幸福の科学総裁。その教えは、すべて人々の幸福を実現するためのものである。大川総裁の説く「幸福学」とはどのようなものか? 人々を幸福に導く、その教えを概観した。

(編集部 大塚紘子、只木友祐)

学問とは、特定の思想や価値観を排除し、前例や証明された事実だけを積み上げること――。学問に対して、漠然とこんなイメージを持っている人も多いかもしれない。

しかし、これは理科系の学問のうち、ごく狭い実験科学の手法を学問全体に広げたような歪んだ見方だ。 何らかの思想や価値観を背景に学問が展開されるのは、当たり前のことである。

偉大な個人の思想が学問の源泉となってきた

例えば、「アリストテレス哲学」「ハイエク経済学」「ドラッカー経営学」など、個人の名を冠した学問体系がある。それらは、背景にオリジナルの思想を持っているが、人類を啓蒙し、貢献してきた事実は誰も否定できない。

宗教も同じだ。仏教やキリスト教の教えは実験的な証明にはなじまない。しかし、その教えは学問として多くの人々に学ばれると同時に、他の多くの学問をも育んできた。

歴史的にも、偉大な個人から発せられた思想が様々な学問の源泉となってきたのだ。

根源的でオリジナルな「大川隆法学」が現れている

現在、幸福の科学の大川隆法総裁は、これまでに説いてきた膨大な教えの「学問化」を進めている。その「大川隆法学」の特徴は、神仏や霊界の存在をはっきりと肯定し、それを出発点にしていることだ。

そして「人間」については、「魂と肉体が合体して人生修行をし、肉体の死後は魂が霊界に還っていく存在」と明確に定義。その上で、人間を「幸福にする」ことを目的として、その方法や考え方を様々な角度から探究している。

「人間を幸福にする」という宗教的使命を担う大川隆法学の射程は、あらゆる学問分野に広がっている(次ページ図)。

大川総裁の著作群に引用や注が少ないことからその学問性を疑う声もあるが、そもそもオリジナルの思想や学問に引用や注は必要ない。

今、歴史上の偉大な思想を超える、根源的な学問が姿を見せつつあるのだ。

以下、大川隆法学が学問の世界にもたらすインパクトについて考えていこう。


大川隆法学があらゆる学問を刷新する

「モノがすべて」「死んだら終わり」などと考える唯物的な傾向の強い現在の諸学問は、価値観を示して人々を導くという本来の使命が果たせず、袋小路に入っている。やはり今求められているのは、中心軸に「思想」や「理念」を据えた新たな学問だ。

では、神仏や霊界の存在を前提にし、宗教的な教えを持つ大川隆法学は、どのように既存の学問に「命」を吹き込むのか。

宗教紛争を解決する「宗教学」

現代世界は宗教紛争が絶えない。特に、ユダヤ・キリスト教勢力とイスラム教勢力との争いは深刻だ。ところが、既存の宗教学は「価値中立」を掲げて現状の解説に終始し、何ら解決策を示せないでいる。

一方、大川総裁は新たな宗教的世界観を示すことで、宗教間の誤解を解こうとしている。

例えば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は一神教とされるが、「天上界には多くの神々が存在する」という霊的真実を訴え、どの宗教も、複数の神の声を唯一神の声だと誤解していると説いている。

そうした声の中には、地球の至高神エル・カンターレ(中東ではエロヒムやエルと呼ばれる)による普遍的な愛の教えと、他宗教を攻撃する偏狭な民族神の教えが混在していることも明らかにした。

つまり、大川総裁が説く新たな宗教的世界観によって、至高神が指導した兄弟宗教であることを互いに認め合い、攻撃的な教えを捨てることで宗教間融和の可能性が開ける。

一方、唯物論的・世俗的な学者の意見では、各宗教の熱心な信仰者たちを説得できないだろう。「新しい宗教観に基づく宗教学」が求められているのだ。

「政治学」に「神仏の正義」という視点が入ると?

神仏が存在するならば、当然、政治においてもその意思を忖度しなければならない。「政治学」は「神仏が求める正義」という視点から再構築されることになる。

例えば、無神論・唯物論を国是とする中国が日本やアジアを侵略することを、神仏が許すはずはない。これに対し、絶対平和主義に陥りがちな日本のこれまでの政治学では、「命を賭してでも正義を貫く」という明確な姿勢は打ち出せないだろう。

背景に宗教的思想がなければ、政治の基本的理念も根拠に乏しいものになる。そもそも「人権」や「自由」が尊いのは、人間が神仏の子として平等に創造された存在だからだ。

また、霊的真実を知れば、政治思想のあるべき姿もはっきりする。人間がこの世に生まれるのが「努力して魂を向上させるため」ならば、国民が政府に頼って生活する社会主義ではなく、個人の努力で道を開く自由主義こそ選択すべきだろう。

あらゆる学問分野に広がる大川隆法学の射程

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霊的視点によって「医学」のブレイクスルーが起きる

大きく変化するのは、理科系の学問も同様だ。特に「医学」は人々の幸福に直結する分野であり、大川隆法学の中でも重要な位置づけとなる。

現代の医学は、人間を単なる肉体として捉えるため、外科手術や投薬を中心に治療を組み立てている。しかし、人間は「魂と肉体が合体した存在」であり、肉体の病変も魂の側の不調が現象化したものであることが多い。

葛藤や悩み、怒りやストレスを放置すると、それが肉体の病気となる。この霊的真実に基づき、宗教的アプローチで心の持ち方を変え、病気を癒す医学が本格的に始まるだろう。

また、瀕死の外傷を負った人が祈願によって突然回復するなど、現代医学では説明できない事例が数多く報告されているが、これも神仏の力による奇跡と説明できる。これまでの物質的アプローチと、新しい宗教的アプローチを融合することで、医学のブレイクスルーが期待される。

人類最高峰の思想にも近づける

ここで挙げた大川隆法学はほんのごく一部だ。それはあらゆる学問を霊的観点の導入によって刷新し、学問の有用性を大いに高めるだろう。

しかし、大川隆法学を学ぶ意義はそれだけではない。 大川総裁の説く霊的真理を通して見れば、人類最高峰の思想家たちの奥義に迫ることもできる。例えば大川総裁は、西田幾多郎やハイデガーの難解な哲学を、平易な言葉で解説している (下図)。

唯物的なアプローチだけが学問だと思っている人にとっては、霊的世界観を説く大川隆法学は異質なものに映るかもしれない。しかし、その霊的世界観は多くの学問に刺激をもたらし、人間の幸福に資するものとして再生させるだろう。それは学問本来の使命に回帰することでもある。


大川隆法学の目的は「人間の幸福」

「万学の祖」と呼ばれる古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、哲学をはじめとする諸学問の目的を「幸福」に置いた。その意味では、大川隆法学も学問の正統な歴史を継いでいる。

現在、諸学問は専門分化しているが、それらを統合する視点は失われ、「人間とは何か」「幸福とは何か」を語れる人は少なくなっている。それは、諸学問が宗教や哲学から分離した結果、「人間の幸福」という本来の目的を見失ったからだろう。

大川隆法学とは、改めて人間の幸福という目的を中心に据え、諸学問を進化・発展させようとする試みでもある。

学問を「人間の幸福」という使命に回帰させる

大川隆法学がカバーする学問領域は広いが、その中心は「幸福学」および「人間学」だ。「人間幸福学」と言ってもよい。大川総裁の教えはすべて、人間を幸せにするための幸福学のテキストとして説かれたものである。

大川隆法学の中心には、「幸福学」「人間学」があり、そこから幸福の具体的な内容に応じて、様々な学問分野が分岐していく。 健康な生活のために「医学」があり、商売繁盛のために「経営学」があるという具合だ(上図)。

時代や地域が変われば、人間を幸福にする考え方や方法も変わる。だからこそ、大川隆法学の範囲も広がっていくし、その内容も次々に更新されていくだろう。

いずれにせよ、既存の学問が扱っている内容はほとんど含まれることになる。

こうして、あらゆる学問が「人間の幸福」という使命の下に、一致協力して活動してこそ、学問の世界は再生していくのだ。