長崎佐世保市で起きた同級生殺害事件の取調べが進む中、逮捕された高校生の発言の異常性が明らかになってきている。捜査機関は、高校生の精神鑑定を検討している。

刑法39条1項では「心神喪失者の行為は、罰しない」と定められている。心神喪失者とは、主に精神病患者や知的障害者を想定しており、物事の分別がつかず「自分の行為が悪いことだ」という認識が持てない人のことを指す。

刑罰が決められているのは、「悪いことをすると、自らに不利益になる」ことを示して犯罪を抑止する効果と、間違った行為を繰り返さないようにする教育の効果を期待してのことである。ゆえに、心神喪失状態にある人は、悪い行為に対する責任を負う能力がなく、教育効果も期待できないとされている。

精神鑑定を行うのは、犯行時に心神喪失状態にあったか否かを確認するためだが、最近ではやや対象が拡大される傾向にある。弁護士たちは加害者の「人権」を守り、何とかして無罪にしようと努力するからだ。だが、殺人などの凶悪犯罪に着手する人が、普通の精神状態にあるはずはない。

本欄では、精神鑑定を霊的視点から論じてみたい。霊的に見ると、精神病患者のほとんどは、悪霊や悪魔に取り付かれた状態にある。悪霊は、生前、人を害することをなんとも思わず、間違った心で生きた人の霊である。また、悪魔はより凶悪で意図的に人に害を与えようとしている存在だ。

一方、凶悪犯罪者のほとんども霊的に見ると「精神病状態」にある。「『殺せ』という声が聞こえた」「誰でもよいので人を殺したかった」と証言する人物は、たいてい悪魔に取り付かれていると見てよい。

では、悪魔に取り付かれたのは偶然なのだろうか。本欄でも何度も指摘してきたが、悪魔は同じ思いや考えを持っている人に同通してくる。すなわち、悪霊や悪魔の影響を受けて事件を起こすのは、結局は本人に「責任」があるのだ。

また、知的障害者には善悪が理解できないのではないかというのは偏見だ。知的に障害があったとしても魂は健全である。脳の機能などに障害があった場合は思いや考えをうまく表現できないだけで、魂では善悪は分かる。だが、周囲の無理解や偏見に苦しんで、悪霊と同通する心を持った場合には、犯罪行為に走ってしまうこともある。

こうした霊的真実を知れば、「心神喪失状態にあって分別がつかないから刑罰を課さない」という考えは、本末転倒だと分かる。すべての人は、神仏から分かれてきた尊い存在であり、本質的に善をなそうとする傾向がある。加害者の本当の「人権」を守るには、悪霊と同通してしまった心を反省し、神仏の子である本来の自己を取り戻すための宗教的回心を促すことが必要だ。

むしろ、精神鑑定で心神喪失状態にあると認定して犯罪を見逃していくうちに、ますます悪霊や悪魔と離れられなくなり、犯罪を繰り返すことになりかねない。

司法の世界にも霊的視点を取り入れていかなければ、方向性を間違ってしまう。(佳)

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2014年7月28日付本欄 同級生殺害事件 長崎県佐世保市で繰り返されたのはなぜか

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2014年7月29日付本欄 「命の教育」から善悪を教える「宗教教育」へ 佐世保・高1女子殺害事件

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2011年1月26日付本欄 秋葉原殺傷事件、被告の「責任能力」論を問う

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