習近平氏は「侵略者」なのか? ヒトラーも著書『わが闘争』に書かれた侵略計画が本気なのか、各国で論争になった。
2013年3月号記事
中国の習近平・共産党総書記の軍事面での発言が突出している。同氏の指示で今年1月、全軍に「戦争準備」が発された。昨年12月の軍視察では「勝ち戦を交えることが強軍の要」と戦争前提の発言を行った。
その前の11月の北京市内でのスピーチでは、目指す国家像をこう述べた。「アヘン戦争から170年余りの奮闘は中華民族の偉大な復興への明るい未来を示している」。素直に受け取るなら、沖縄や朝鮮半島などを含む「清朝時代の版図を回復したい」ということになる。
習近平氏は野心家か弱いリーダーか
その一方、12月に外国人有識者との座談会で「中国は決して覇を唱えず、対外拡張を行わない」と強調した。一体どちらが習近平氏の「本心」なのか。
習近平氏をどう見るかについては、180度、見方が分かれる。
一つは、対外的な拡張欲むき出しの野心家。もう一つは、「派閥力学」で選ばれた八方美人タイプの弱いリーダー。
第二次大戦中にヨーロッパの大半を支配したヒトラーに対しても、「どう見るか」をめぐって各国で論争が続いた。その題材はヒトラーの著書『わが闘争』 で、その中でこう語られている。
「オーストリアのドイツ人は、偉大なる母国ドイツに戻らねばならない」「ゲルマン民族の生存のためには、スラブ諸族の住む東方を新たな領土にしなければならない」「ドイツは世界を支配するか、あるいは滅びるかどちらかしかない」
東方への領土拡大、フランスへの復讐、ロシアとの戦争などがあからさまに語られていた。
『わが闘争』に書かれたヒトラーの野望が実現
1933年、ナチス政権が誕生し、ヒトラーは再軍備を宣言。ベルサイユ条約で禁じられた軍用機、潜水艦などの製造に踏み出した。イギリスなどは率先して、ドイツがそれ以上軍拡しないよう融和外交に乗り出す。
これ幸いとヒトラーは36年、非武装地帯だったライン地方へ軍を進駐し、38年、オーストリアを併合。ヒトラーは「これ以上、他国へ侵攻しない」と明言したが、次はチェコスロバキアを脅し、ドイツ人が多く住むズデーテン地方を割譲させ、その勢いで39年、チェコスロバキア全域を支配下に。そして40年、フランス・パリ占領、イギリス本土空襲、ソ連侵攻へと突き進む。
『わが闘争』で語られた野望がほとんどすべて実現した。
「侵略王ジンギスカン」と指弾したチャーチル
『わが闘争』を読み、「ヒトラーと徹底的に戦い抜き、打ち倒す」と唯一決意したのが、イギリスの政治家チャーチルだった。
ヒトラーが首相になると、チャーチルは「ユダヤ人やスラブ人を滅ぼし、北海からウラル山脈までをドイツ領としたがる狂人が政権を握ったのだ」と演説。ドイツによるオーストリア併合時、英チェンバレン内閣は、現在のどこかの政府のように「誠に遺憾」と声明を出したが、 チャーチルは「ヒトラーは奈落の底から這い出した悪魔だ。侵略王のジンギスカンの生まれ変わりだ」と激しく指弾した。
チャーチルが海相や首相として英政府中枢に登場するのは、英仏がやっとドイツに宣戦布告した39年9月。そこからアメリカの対独参戦もあって、滅亡の淵から逆転勝利にこぎつけた。
ヒトラーはもっと早く止められた
ヒトラーをもっと早く止める方法はあった。
(1)ヒトラーは英仏の軍事介入を恐れ、ライン地方進駐時など、「英仏軍が動けば撤退せよ」と指示していた。外交・軍事的に一歩も引かない姿勢が重要だ。
(2)第一次大戦後、平和を願うあまり、「領土をもう広げない」というヒトラーの二枚舌に英仏はだまされ続けた。『わが闘争』の内容を「荒唐無稽」と甘く見てしまった。
(3)ヒトラーの行動が『わが闘争』の通りだと認めたら、早急に国防強化しなければならないが、それを勇気をもって主張し、実行する政治家がいなかった。
『わが闘争』は、クーデター事件で獄中にいたヒトラーが、熱烈な支持者を前に「本心」を語り下ろしたものだ。今、習近平氏の本心(潜在意識)が霊言で語られ、大川隆法著『 世界皇帝をめざす男 』『 中国と習近平に未来はあるか 』(いずれも幸福の科学出版刊)として発刊されている。 その中でこんな野望が開陳されている。「日本を支配すると同時に悲願の台湾併合を果たし、東南アジア、オーストラリア、中東、アフリカ、南米、北米の一部も勢力圏に組み込み、『大中華帝国』を建設する」。そして、自らを「ジンギスカンの生まれ変わりだ」と明かしている。
第二次大戦時のヨーロッパと同じように、この本をどう受けとめ、行動するかによって、「第二のヒトラー」を野放しにするか、打ち倒せるかが決まる。
(綾織次郎)