09年に立党した幸福実現党には、たくさんのメディアが取材に来たが、ほとんど報道されかった。政党助成金を受けられる「政党」ではないとの理由だったが、同じ「政党」未満の大阪維新の会は今回、大々的に報道された。写真は同年5月25日の結党記者会見。
2012年11月号記事
マスコミ淘汰の時代が始まった
7人の国会議員がこのほど合流し、政党助成金を受けられる「政党」となった「日本維新の会」。今年1月に橋下徹大阪市長が国政進出を表明して以降、その政策集「維新八策」などが大々的に報道されてきた。
そこには首相公選制や参院廃止、公的年金の積立方式化などが含まれているが、これらは幸福実現党が主張してきた政策に近いと知る国民は少ない。
国難を招いたマスコミの「逆判断」
これは、マスコミが09年の衆院選でも翌年の参院選でも、「実現党は政党要件を満たしていない」として報道してこなかったためだ。今回、「政党」でなかった維新の会を報じ続けたことで、その理由がまったくの嘘だったことが明らかになった。
実現党は立党した09年からずっと、中国の覇権主義による日本の危機を訴え続けてきた。マスコミはそれを無視し、民主党政権をつくり出し、日米同盟の亀裂、対中屈辱外交、大震災と脱原発の国難を招いた。
なぜこれほど見事な「逆判断」ができるのだろうか。
頭が固いマスコミ幹部
何をどう報道するかのマスコミの判断は、読者・視聴者には見えないところで行われているが、それがたまに表面化して物議をかもすことがある。
安倍晋三元首相について最近書かれた本で、朝日新聞の論説主幹が「社是だから」と徹底的な安倍叩きを展開したと語ったエピソードが紹介された。
非自民の細川内閣が誕生した93年の衆院選の後、テレビ朝日の報道局長が「(自民一党独裁の)五五年体制を突き崩そうと、まなじりを決して報道した」などと発言し、大問題となった。
実現党については09年の衆院選の際、ある地方紙の幹部が「実現党を報道したら、わが社の見識が疑われる」と言い放ち、確信犯的に報道しなかった ことが垣間見えた。
テレビや新聞というと、さも最先端のようなイメージがあるが、古い体質が残っていて、頭が固い ことが分かる。
グループごとに系列化され変化のない業界
一つの業界として見れば、日本のマスコミは意外に変化がない世界 だ。他の先進国ではたいていの大手新聞社が株式市場に上場しており、オーナーの移動、再編・合併は珍しくない。日本の場合、100以上の日刊新聞社があるが、ただの1社も上場しておらず、大株主として創業者一族が隠然たる力を保っている。
加えて、新聞社と在京テレビ局が株を持ち合い、そのグループごとに全国の地方テレビ局を系列化している。この業界体制が固まったのは1950~60年代で、その後大きな変化はない。
近年、BS、CSといった衛星放送が増えているが、多くのチャンネルがこれらの系列グループで押さえられている。衛星放送が地上波の内容と変わり映えしないのはそのためだ。
日本にはたくさん報道機関があるようで、実は、数グループに仕分けされてしまう。
この閉鎖性に風穴を開けようとしたのが、ホリエモンこと堀江貴文氏や楽天の三木谷浩史社長らだったが、いずれも業界秩序の「破壊者」として撃退された。
国防、宗教について知りたいという国民の渇望
結局、日本のマスコミは、アメリカと組むことに反対し、ソ連の支配下に入ろうとした 1950~60年代の左翼学生運動の気分そのままで仕事を続けている ということだ。
当時は、ソ連軍に日本を「無血開城」させるために米軍を追い出し、自衛隊をなくすことが左翼運動の目標だった。ソ連が唯物論思想で日本を統治するのに備え、宗教は社会的に排除しておかなければならなかった。
今は中国がソ連に取って代わっただけで、やっていることは何も変わらない。
ただ、この 古い考え方や行動のパターンが国民から飽きられ、新聞・テレビ離れが始まっている。 日本の新聞社全体の広告収入はこの10年間で半減した。全国のテレビ局の広告収入も2兆円余(2000年)から約3500億円(2011年)も減っている。
もちろんネットメディアの台頭も背景にはある。だが、 新聞・テレビ離れの最大の理由は、戦後タブー視されてきた国防と宗教について、もっと真実を知りたいという国民の渇望感の裏返しだろう。
国民の求める情報を遮断するマスコミは、もはや生き残ることはできない。マスコミ淘汰の時代が始まっている。
(綾織次郎)