2012年7月号記事

第4回

釈量子の志士奮迅

世の中は変えられる!

幸福実現党青年局長

釈量子 (しゃく・りょうこ)

1969年東京都生まれ。國学院大學文学部史学科卒、(株)ネピアを経て、(宗)幸福の科学に入局。本誌編集部、常務理事などを歴任。 http://shaku-ryoko.net/

[第4回]天安門事件で散った学生の魂に

6月4日、「天安門事件」から23年を迎えます。若者と政治を考える上で、中国の学生自身による民主化運動が起きたこと、そして中国政府が自国の学生に銃を向けたという事実は、、東アジアの私たちにとって今も重大な意味を持っています。

先日お会いした米国の芸術家、陳維明氏は、天安門事件の経験者です。1989年5月30日、天安門広場の毛沢東の肖像画の前に、北京で芸術を学ぶ学生たちの共同作品「民主の女神像」が建てられました。しかし、軍によって女神像は破壊され、学生たちは虐殺されました。

陳氏は、創作活動のなかで女神像を復元し、一昨年の6月には、天安門事件21周年を記念して香港に運び込みました。当局は押収しましたが、万単位の学生たちの抗議活動によって、像は香港の大学のキャンパスにいまも置かれています。「中国共産党は自分の国の若者を殺すぐらい平気です。日本に対してとなれば何倍も酷いことをするに決まっている」と陳氏は警告します。

監獄の恐怖より良心の傷の方がはるかに怖い

また、2010年にノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏は、天安門の犠牲者たちの名誉回復を呼びかけ、国家政権転覆扇動罪で今も獄中にいます。

「6月4日以来、僕という幸福な生き残りは、常に自分自身に警告を与えている。無辜の死者の霊魂が天上からずっとぼくをみつめている」

劉氏は著作でこうも記しています。

「秦城監獄で本心に逆らい『反省書』を書いた時、僕は自分で自分の良心を踏みにじった。自分の孤独、軟弱、エゴ、利己的な処世術、命が惜しくて策略をめぐらし仮面をかぶったことを自覚し、認識した。この心の奥底に潜在する恐怖や憂鬱は、監獄が僕に与えた恐怖や孤独をはるかに超えていた。自分自身が魂に拷問を加えることにより、救いや贖いが得られる。これにより自己を解放しなければならない」(要旨、注)

私はここに人間に宿る良心の尊さをみる思いがします。これは宗教的には回心そのものです。天安門で亡くなった学生たちは犬死だったのか?

私は決してそうは思いません。彼らの願いは、魂の牢獄・中国に蒔かれた自由の種子としていつか必ず花開くでしょう。そして、永遠の生命を持つ魂は中国や若者たちの未来を見つめていることでしょう。

6月2日公開の映画「 ファイナル・ジャッジメント 」は、自由を封殺する無神論国家が、人権を踏みにじり、真理を抑圧する“現実"を描き、日本の若者に価値観の選択を迫ります。天安門で散った若者たちの魂にも捧げたい映画です。

(注) 『天安門事件から「08憲章」へ』(藤原書店)