(『国家の気概』第5章「夢の未来へ」より抜粋・編集。2008年12月7日収録)
今世紀に予想される危機から、世界の人々を救いたい
二十一世紀を見渡すと、大きな危機が幾つか予想されます。
一つは「食糧危機」です。それが必ず起きてくるでしょう。
これについては、この世的な力も必要です。そのため、世界各国の力を結集して、飢えていく数十億人の人たちを助けていく運動も、幸福の科学は担わなくてはならないと思っています。
「その点において、幸福の科学は、国際赤十字をも超える活動をしなければならない。これから、そういう体制をつくっていかなければならない」と考えています。
二番目に心配なことは、二十一世紀前半に起きることが予想される、アジアでの大きな戦争です。「中国の覇権主義によって戦争が起きるか否か」という大きなテーマがあります。
この戦争を起こさせないために、幸福の科学の“戦い”はすでに始まっています。それは、幸福の科学の世界的なネットワークを使って、世界のあり方を変えようとする運動です。
私たちは、国家の枠を超えて、「正しさとは何か」「何が正しいのか」ということを求め続けたいと思います。
「どの国が正しいか」ではありません。「戦争において、攻撃をしている側が正しいのか、攻撃を受けている側が正しいのか」ではありません。
「誰が正しいか」ではなく、「何が正しいのか」を基準として判断をし、意見を述べ、人々を導いていきたいと考えているのです。
幸福の科学の信者は、たとえ、お互いの国同士が戦争状態になったとしても、共に連絡を取り合い、平和をいち早く実現するために、協力し合うべきです。私は、それを望みます。
今、アジアの各国にも、日々、伝道を心がけ、真理の実践活動に邁進する人たちが数多くいます。
私は、台湾の人も、中国本土の人も、中国に支配されているチベットの人も、ネパールの人も、未来が不確定なインドの人も救いたいのです。そうした国の人々の未来にも責任を感じています。
かつて、ロシアや中国は、唯物論の大国として、神を信ずる国との冷戦時代を経ましたが、国家体制として神を信じなかった国も、今、緩やかに雪解けを迎えようとしています。
私たちは、こうした国にも真理を浸透させようと努力しています。今、中国本土にも、私の本が、ベストセラーになって広がりつつあります。
また、アフリカにも真理の芽が芽生え、数多くの人々を導こうとしています。私たちは、「彼らの未来がどうあるべきか」を示すことができるのですから、やるべきことをやらなくてはなりません。
また、今回の経済危機を通して、世界のリーダーであるアメリカ合衆国は、その威信が大きく傷つきました。アメリカの優位は、まだ続くでしょうが、「世界の超大国はアメリカ一国のみ」という時代は終わろうとしつつあります。
オバマ政権のアメリカは、一国平和主義のほうへと向かい、国内問題を重視していくだろうと思います。
したがって、どこかが世界全体のことを考えていかなければならないのです。
一神教の宗教文明を背景とした、大きな戦いが始まっている
そして、宗教においては、最も大切な問題が残されています。
二〇〇一年九月十一日、アメリカのニューヨークで起きた同時多発テロ以降、二〇〇三年のイラク戦争など、「キリスト教文化圏」対「イスラム教文化圏」の戦いが緩やかに始まり、継続しています。
この戦いは緩やかに進行しているため、テロが起きては、その解決を図ろうとしているように見える面もあります。しかし、別の視点から見て、「第三次世界大戦がすでに始まっている」と指摘する人もいます。
この“第三次世界大戦”とは何かといえば、要するに、「イスラム教文明」対「キリスト教文明」の戦いです。
二十世紀に、「マルクス・レーニン主義を掲げる国」対「キリスト教系の神を信じる国」という大きな戦いがあったように、二十一世紀は、「イスラム教文明」対「キリスト教文明」、あるいは、「イスラム教文明」対「ユダヤ教文明を含めたキリスト教文明」という戦いになると考えている人もいるのです。
その戦いを“第三次世界大戦”と呼ぶかどうかは、学問的には、まだ決まってはいません。
しかし、少なくとも、この「宗教を原因とする戦い」に終止符を打つのは幸福の科学なのです。
幸福の科学以外に、この戦いを終わらせることができるものはありません。
互いに一神教を信じていて、他の教えを悪魔の教えのように考えているならば、その根本における思想が変わらないかぎり、戦争がやむことはありません。
これは単なる「テロとの戦い」ではないはずです。
もっと根源的なものが奥にあります。「宗教対立」が奥にあります。相手の宗教に対する不信感があります。憎悪、憎しみ、怒りがあります。そして、文明としての優劣の戦いが背景にあります。
これに対し、私は、厳しく申し上げておきます。
キリスト教の世界に生きている人たちよ。
私が、「天なる父」として、イエス・キリストを通じて説いた教えは、
愛と平和であったはずである。
今のキリスト教国の人たちは、
愛と平和の教えをもとにして、生き、行動しているか。
もし、そうでないならば、反省しなさい。
イスラム教国の人たちにも申し上げたい。
私が、ムハンマドを通じて伝えた教えは、
平和と寛容の教えであったはずだ。
今、あなたがたがやっていることは何であるか。
神の名の下に、世界中でテロ行為を起こし、
罪のない人たちを巻き添えにしている。
そこに、いったい、いかなる人類の幸福があるのか。
それは、単なる復讐であり、憎しみであり、報復であるはずだ。
憎しみによって、憎しみを止めることはできない。
憎しみの連鎖は、愛によって断ち切らなければ、終わることがない。
その事実を知らなくてはならない。
仏陀は「過去・現在・未来の三世」を見通した
また、仏教諸国においては、仏陀の教えが形骸化し、もはや、旧いものとなっています。
仏教学者のなかには、仏教を「唯物論」のように捉えている人もいます。「仏陀は、神も仏も信じず、あの世も信じず、『この世の一切のものは滅びていく』という教えを説いた」というように理解し、その理解が「現代的であり、進んでいる」と考えている仏教学者が数多くいるのです。
唯物論のように解釈することで、現代人に批判されることから逃げようとしているのでしょうが、間違った態度です。
仏陀とは、「目覚めたる者」という意味です。
「目覚める」とは何でしょうか。
この世において、目に見えている現象を、そのまま見るだけであったら、普通の人間でしょう。この世のものしか見えず、感じられないのであれば、その人を、目覚めたる者、仏陀と言えるでしょうか。
この世に生きている人間でありながら、見えないものを見、聞こえないものを聞き、感じないものを感じ取り、真理をつかみ取ったからこそ、「目覚めたる者」という意味で、「仏陀」と呼ばれたのです。
「仏陀は、菩提樹の下で悟りを開いたとき、過去・現在・未来の三世を見通した」ということが、仏典に、はっきりと説かれています。
仏陀は悟りを開いたときに、
「人間には、過去世・現世・来世がある。
今、生きている人生だけではない。
過去の人生があり、
現在の人生があり、
未来の人生がある」ということを見たのです。知ったのです。
そして、その真理を人々に伝えようとしたのです。
特に、過去の行いと現在の行いから見て、未来において“暗闇”が待っている人たちに対して、「無明を終わらせ、明かりの世界、光明の世界に生きるためには、どうすべきであるか」ということを説いたのが仏教です。
今、仏教の世界においても“光”が消えようとしています。
法灯明が、法の光が、終わりを迎えようとしているのです。
幸福の科学は、すべての宗教戦争を終わらせる覚悟で活動している
私は、今、これらの世界宗教を超えた、地球レベルの教えを説き、世界の人々が自由と平和と寛容の下、愛の実践のなかに生きることができるような時代を切り開こうとしています。
私は、すべての宗教戦争を終わらせる覚悟で、この運動を広げています。
根本から直さないかぎり、戦争も、やむことはありません。戦争のもとにあるものは、憎しみであり、怒りであり、不信感です。「相手が理解できない」ということです。
私は数多くの教えのなかで、「転生輪廻」についても説きました。
その転生輪廻の教えをよく学べば、「人間は、例えば、あるときにはヨーロッパに生まれ、あるときにはアメリカに生まれ、あるときには中国に生まれ、あるときには韓国に生まれ、あるときには日本に生まれている」ということが分かるはずです。
そうであるならば、国境というものを境にして憎しみを燃やすことは、やめなくてはならないのです。
今、世界は、かつてない人口を抱え、その人口は、さらに増えようとしています。そういう時代にあって、私は、世界の人々に、恐怖の未来ではなく、明るい未来を開くために、この運動を広げているのです。
幸福の科学は、一九八六年の立宗から二十数年がたち、かなりのところまで来ました。それは私一人の力ではありません。この二十数年間、数多くの人々が協力してくれました。
一九八六年十一月、最初の説法である「初転法輪」に集った人は、わずか九十人足らずでした。一九八七年三月の牛込公会堂での第一回講演会では、四百人ぐらいの人が集まりました。それが、今、私の説法は、日本では全国千数百カ所、世界では全大陸に衛星中継され、数多くの人々が私の話を聴いてくださるようになりました。
望みは一つです。
「私は幸福です」と言い切れる人を、あらゆる国に数多くつくりたいのです。