2026年1月号記事

アメリカを救った本当のヒーロー

ケネディ その彼の減税とは?(後編)

ケネディ減税の本質を理解していなかった継承者たちはいかに経済を破壊したか。

「ケネディ減税」──その背景には、サプライサイド経済学を理解した大統領の執念があった。戦後4番目の景気後退期に襲われていたケネディが、働く人の手取りを増やすべく、最高税率を91%から70%下げた効果は大きかった。1ドル稼ぐとそれまでは9セントしか手元に残らなかったが、30セントが手元に残るようになった。233%も働くインセンティブが高くなったことを意味する(*1)。

「最高税率を下げると経済を牽引する」(*1)というサプライサイド経済学の父のラッファー博士の言葉の通り、新規企業への投資も高まり、実質家計所得も増加。1950年代に横ばいだった国民の車の購入率は60%も高まったと同時に、高かった若者の失業率も下がった。ケインズ政策が常にインフレをもたらすのとは異なり、ケネディ減税は、インフレなき経済成長をもたらした。

(*1)アーサー・B. ラッファー著『「大きな政府」は国を滅ぼす』(幸福の科学出版)第1部第5節参照。

ケネディが長生きしていたら

戦後最長の経済拡大期の1つを実現したケネディ減税だったが、同氏の暗殺で、事態は急変する。暗殺後、ケネディへの同情の機運が高まり、法案は1964年1月に可決されたのは良かったが、継承した大統領たちが「ケネディ減税」の本質を理解していなかったのだ(インタビュー参照)。

ケネディが最高限界税率の引き下げが他の課税区分の引き下げよりも重要であることや、政府支出増よりも効果があることを即興で雄弁に語ることができたのとは異なり、ジョンソン大統領は原稿がなければ減税の大切さについて語ることはできなかった。とりわけ財政政策と金融政策との関係については途方に暮れた。


長期的繁栄を目的としたケネディ減税

ケネディ減税の目的は、個人所得税および法人所得税の税率の引き下げを通して、国内の経済成長率を上げ、当時台頭しつつあった西ドイツや日本に対する国際競争力を強化し、基軸通貨ドルの価値を維持することにあった。国際競争力の低下とそれに伴うドル価値の低下と通貨危機、企業の海外流出や国内産業の空洞化、失業率の増加は何としても避けなければならない。

そうしたなか、ケネディは実体経済をよくするために、「長期的」な減税措置に執念を持って臨んでいた。当時、代表的なケインジアンのサミュエルソンが「短期的」な減税施策に拘泥していたのとは対照的である。

ケネディの熱意が実り、のちに「ラッファー・カーブ」と称される現象(*2)が起きた。1961年から1969年の106カ月の連邦政府の歳入は61%上昇、州レベルでも40%もの歳入の伸び率を記録した。

同時に1964年から1965年には政府支出の総額が減少に転じた。このような減少幅は、2010年まで2度と達成されることがないほどの快挙で、この路線が続けば「小さな政府」への道筋が見えたことであろう。

ジョンソンが70%という高い個人所得税(つまり、1ドル稼いでも手元に30セントしか残らない)の最高税率を実質的に77%に引き上げた上に、基軸通貨の地位を危うくする政策を採ったため、1969年は、それ以降の13年間に幾度も国民を襲った不況元年となった。

ケネディ以降の経済政策について、専門家に話を訊いた。

(*2)減税による経済成長が税収増をもたらすということを示した曲線。

 

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