経済政策についてスピーチをするJ. F. ケネディ氏(出典:John F. Kennedy PRESIDENTIAL LIBRARY AND MUSEUM)。
2025年12月号記事
アメリカを救った本当のヒーロー
ケネディ
その彼の減税とは?(前編)
成長こそが国を救う究極の策だと理解していた大統領がいた。
アメリカの今年の第2四半期の経済成長率は3.8%に達した。一方の日本は、0.5%と、大きく水をあけられている。今後、2017年の大型減税である減税雇用法を恒久化する「一つの大きく美しい法」が施行された場合、成長率はさらに高くなる可能性もある。
これからも高い成長率が続けば、本誌10月号(*1)で示したように、政府債務の対GDP比は下がり続け、政府の借金の問題は解消に向かう。
トランプ政権は、実は「ケネディ・レーガン」型をモデルとしている。意外に思うかもしれないが、民主党の大統領だったジョン・F・ケネディも、経済の要諦は「分配」ではなく「成長」であると理解していた。
(*1)「超大型減税を4度実現させた奇跡の人 アーサー・ラッファー」
最大の課題は経済だった
11万8574票──これは総得票数の0.2%に相当する票数。この僅差でニクソンを大統領選で破ったのがケネディだったが、当時の一番の課題は経済だった。
大統領選が行われた1960年は4月から不況に突入。不況が深刻化し、民主党の地盤であるイリノイ州、ニュージャージー州、ミシガン州などの労働者の解雇が進んだのが秋だった。40万人が職を失わなければ、ニクソンが勝利した可能性があるとさえ言われている。
公民権(*2)を求めるアフリカ系アメリカ人による運動が活発化していたが、実は公民権より「パンとバターの問題」のほうが彼らにとって切迫した問題だった。
結果、ケネディはアフリカ系アメリカ人から高い得票率を獲得した。逆に言えば、それほど経済は深刻な状況にあり、「経済成長」こそが時代を救うと考えていたケネディの出現は、歴史の要請だった。
(*2) 国民として政治に参加する権利のこと。
長期的成長をもたらしたケネディ減税
幸いだったのは、ケネディが財務長官としてダグラス・ディロンを参謀に得たことだろう。本誌42ページ以降のインタビューで、サプライサイド経済史家のドミトロヴィッチ氏が述べるように、ディロンは富裕層の出身。最も良く経済を成長させられる経営者の足かせを外すことが必要だと理解していた。
この財務長官を支えた経済学者が、トランプ減税の立役者ラッファー博士の導き役で、ノーベル賞を受賞した経済学者のロバート・マンデルだった。
ケインズ経済学者に囲まれたケネディ大統領だったが、ケネディはマンデルらのサプライサイドの政策の正しさを理解。最高限界税率を下げることにこだわり、減税により経済活動が増大すれば歳入が増えると、サプライサイド経済学に相当する考えを主張した(*3)。
ケネディ暗殺後、同氏への同情から、1964年1月に、ジョンソン大統領が法案を成立させ、所得税の最高限界税率が91%から70%に引き下げられるなど、ケネディ減税が施行されると、1967年の歳入は1954年以来過去最高のGDPの17.8%を記録。経済成長率は、1964年以降、年率平均で5%を記録した。
1961年から1969年の106カ月間に、1600万人の雇用が生まれ(アイゼンハワー時代は350万人でしかなかった)、歴史上最も長い景気拡大期の1つとなった。この「ケネディ減税」の背景について識者に話を訊いた。
(*3)1963年1月24日付、大統領の議会へのメッセージ。
※文中や注の特に断りのない『 』は、いずれも大川隆法著、幸福の科学出版刊。
インタビュー 成長でアメリカを再稼働させる / ブライアン・ドミトロヴィッチ博士
民主党は減税政党だった
ケインジアンに左右されなかったケネディ























