『タイムマシン』『透明人間』『宇宙戦争』など、数々の大ヒット作を世に送り出し、SF小説における金字塔を打ち立てた、イギリスの作家、H・G・ウェルズ(1866~1946年)。

本誌2025年9月号「現代の予言者 H・G・ウェルズ ─ 恐怖の未来と希望の予言詩」では、ウェルズが、20世紀の初期に、世界大戦の惨禍とテクノロジー暴走の危機を見通した驚異の先見力を紹介した。

今回のWeb版では、ウェルズの生前の作品を追いながら、その創作力の謎に迫るとともに、作品全体を貫く「科学万能論への警鐘」というメッセージの真意について考えてみたい。

「別世界に行き、自分の人生が一冊の本になっているのを見た」物語

ウェルズの作品はSF(空想科学)が中心だが、それ以外にも、異次元世界をそのまま見てきたかのような作品もある。

例えば、「塀にある扉」("The Door in the Wall")という作品は、ウォーリスという政治家が、学友のレドモンドに語った「子供の頃に迷子になり、とある家の塀にある扉を開け、未来の自分の姿を見た」という体験が主な内容だ(以下、『H.G.ウェルズ短篇集 第2 (タイム・マシン)』(早川書房)を参照)。

ウォーリスは学生時代から優秀な若者で、オックスフォード大学を卒業後、大いに活躍し、39歳にして国政に参画するが、たまに前後を忘れ、物思いにふけってしまう。目の前の物事への関心が突然に消え失せ、目の前の相手さえ忘れてしまうので、「不思議な人だ」と思われていたが、旧友のレドモンドだけはその謎の真相を知っていた。

ウォーリスは5~6歳のころ迷子になり、とある家の前で、赤いツタに覆われた白い塀の中に緑色の扉があることに気が付く。そのドアを開けて中に入ると、そこは別世界だった。色彩が鮮明な美しい庭園があり、大きな二匹の豹(ヒョウ)が遊んでいる。背の高い金髪の少女に導かれ、階段を登って並木道を進むと、両脇には彫像が並んでおり、猿が近づいてくる。木の下には瞑想している老人がいた。その世界の風景や少女はこの世にはない美しさをたたえていた。

ウォーリスがしばらくそこで遊んでいると、暗い表情をした女性が現れ、一冊の本を渡される。その本を開くと、なんと、自分が生まれてから後に起きたことのいっさいが記されている。本を開くと、両親、家の中の風景、幼い頃の出来事がそのまま見えてくるではないか──。