『南方週末』の元シニア編集者である馬江博によれば、中国における今日の社会問題の多くの種は、すでに30年も前の財政・税制改革時に蒔かれていたという(*1)。

1994年以前の財政制度は各省市が各々、中央政府と協議して中央へ上納していた。最初はそれで上手くいっていたようだが、だんだん問題が生じてきた。どの地方政府も中央政府への納税を避けようとし、中央と地方は駆け引きのゲーム状況に陥ったという。

数年後、地方は金持ちになり、中央は貧乏になっていく。財政部が上海市や広東省にお金を借りるという妙な事態となった。

(*1)2024年4月12日付『中国瞭望』

中央が地方の税収を取り上げた結果……

そこで1994年、江沢民政権は、税制改革を実施し、中央政府は地方政府の税収の大部分を取り上げている。

例えば、本来、付加価値税(日本の消費税に相当)は、100%地方政府が受け取っていたが、改革後、そのうち75%が中央政府に納められた(消費税はモノ・サービス等が消費されることで課されるのに対して、付加価値税はモノ・サービスが生み出される価値に課される。そのため、すでに価格の一部に含まれる事が多い)。

地方政府に十分な資金があろうとなかろうと、地方はその付加価値税の75%を中央政府に上納しなければならない。そして中央が状況に応じて、地方に移転支出する形となった。

その結果、中央は豊かになり、権威とマクロコントロール能力を再確立し、その後の国防建設、国家的な大型プロジェクト、経済危機や大地震等の危機に対応しやすくなった。

3つの"パンドラの箱"を開けた地方政府