毎日新聞社の英字紙「英文毎日」の記者を務めながら、さまざまな著述活動やテレビ、ラジオなどに出演し、歯に衣着せぬ発言で世相を斬り、「電波怪獣」の異名を取った評論家・ジャーナリストの故・竹村健一氏(1930~2019年)。

発刊中の本誌12月号の「竹村健一のもう一つの転生 その過去世は"民主主義の守護神" - 新・過去世物語 人は生まれ変わる」では、竹村氏の過去世が、フランスの政治思想家、アレクシ・ド・トクヴィル(1805~59年)であるという驚きの事実を紹介。本欄の「新・過去世物語 アナザーストーリー 電波怪獣・竹村健一の成功の奥にある『自灯明』『正直さ』『宗教的精神』」でも、自らの人生を切り拓いていくためのヒントについて探った。

今回は、竹村氏の成功の要因となった、若き日のメディア研究や自己研鑽について見ていきたい。

「メディアの特性を一生懸命勉強したからこそ、実を結んだ」

竹村氏は京都大学時代、米フルブライト財団主催のフルブライト奨学金制度の第1号としてアメリカに留学。25歳から約10年間、英文毎日の記者を務めながら、放送や広告などの専門誌への寄稿を続けていた。

アメリカの雑誌や新聞を読みふけり、「テレビ界を外側から見続け」ながら、当時における新メディアの研究を続け、後年、テレビ番組に次々と出演し、電波怪獣の異名を取るが、竹村氏は、この時代を次のように回想している。

「二十代から三十代にかけて、テレビというメディアの特性を一生懸命勉強したからこそ、(その努力が・編集部注)実を結んだのである」(『原点・竹村健一〔1〕』講談社刊。以下、出典のない引用は同書)

この時代に、どのような発見をし、それを後の成功につなげていったのだろうか。

米メディアを研究し、「面白くて為になる」番組を模索した

若い頃の竹村氏は、アメリカのテレビ草創期に出されていた放送批評を注意深く研究し、それを紹介していた。

例えば、1962年には、日本のある雑誌に、「視聴者の好みにばかり合わせるのは丁度親や先生が授業をやめて、子供にアイスキャンディばかり食わせるようなものだ」という当時の米FCC(米国連邦通信委員会)委員長の言葉を紹介。

合わせて、「米国では毎日、朝と深夜に宗教番組がずらりと並んでいる」ことや「悪い番組追放運動は各地に活発に行われる」ことを指摘し、制作側がプロフェッショナルとして番組の質を高める努力をすべきだと主張した。

当時、日本のテレビ界は娯楽番組やアメリカからの輸入番組に偏っており、質を追求しきれないまま、放送の長時間化と視聴率アップに血道をあげていた。

そんな中、竹村氏は、テレビ放映の初期から、「面白い番組」と「為になる番組」という二つの要素がなかなか両立しないことを問題視していた。後年、自身の評論活動では、見識ある発言と高い視聴率を両立させるが、その素地が、若い頃にすでにあったようだ。

「多数の暴政」に対抗する言論人の使命について提言

竹村氏は、1962年に執筆した記事で、米国の報道番組「CBSレポート」を11年間、制作し続けたCBS放送の敏腕プロデューサー、フレッド・フレンドリー氏に注目している。

1950年代、アメリカで、マッカーシー上院議員が「赤狩り」を大義名分に、政敵や政府関係者、著名人などを攻撃していた時、この議員に敢然と立ち向かったフレッド・フレンドリー氏の気骨を竹村氏は賞賛した。

「多数者の支持」を背景に暴走していた政治家と、人気ニュースキャスターのエドワード・マローを、一対一で対決させる番組をつくったからだ。

「当時わたしはアメリカの大学で学んでいただけに、マッカーシー旋風の恐ろしさを今でも思い出すが、そんな時フレンドリーは解説者エドワード・マローと共にマッカーシーに正面攻撃をしかけたのである」

「多数の暴政」に対抗する言論人の使命──それはまさに、政治思想家のトクヴィルが著書『アメリカのデモクラシー』で訴えていたことでもある。