2022年8月号記事

黙示録は来るのか?

いったい何が、人類を待ち受けているのか。我々は何を反省せねばならないのか。
大川隆法・幸福の科学総裁の教えや霊査から紐解いた。


contents


なぜ神は「罰する」のか

日本的"御利益信仰"の盲点


「神意により天変地異が襲う」という考え方に、抵抗感を持つ人もいるかもしれない。東日本大震災が起きた当時、「天罰ではないか」との考えに対し、「不謹慎だ」という声が上がった。

しかしこうした反応は"日本人特有"の面がある。

国や地域を越えた普遍的な概念として、神は「厳しい父なる面」と「優しい母なる面」を併せ持つ存在だとされてきた。たとえば「契約思想」を基盤とするユダヤ的な考えでは、人間が神との契約を破った場合、街ごと滅びることもある。

一方、日本人の中には「人間を苦しめる存在が、神様であるはずがない」と考える人も多い。その背景に関して、大川総裁は「御利益信仰こそ神への信仰で、神様は人間に御利益をくださる、そういうありがたいものなんだ」という考えが日本神道の中にもあると指摘する(*)。

確かに神社の祈願には、開運や商売繁盛、無病息災といったものが多い。現世利益や戦での勝利を求める信仰観は、日本でキリスト教が広がらなかった理由の一つでもある。日本人の多くは、イエスが十字架にかかることによって示した「信仰の優位」を理解できず、"ただ罪人として殺された人物"を信仰の対象として認めなかった。

この世はあくまで魂修行の場

そこに欠けていた、あるいは神罰論を嫌がる考え方の中に足りなかったものが、「この地上はあくまで魂修行の場として与えられている」という観点である。

これについて大川総裁は、「あくまでも霊界世界のほうが実相の世界で、(中略)この世の世界は仮想世界で、(中略)この世界自体が(中略)肉体に宿ってゲームをやっているような世界なのだ」というたとえ話を示している(*)。

仮の世界の中で修行していることを人々が忘れ、大勢が間違った生き方をしていれば、神は天罰という形で反省を求めることがある。さらに文明自体に限界が来て魂修行にそぐわない場所になれば、神はその文明そのものを洗い替えすることもある。永遠の生命を持つ我々は、「現世」だけを見ていては、神の御心が分からないこともあるのだ。

(*)「『小説 十字架の女(2)〈復活編〉』発刊記念対談」

 

次ページからのポイント

地球は宇宙の中の重要な修行場

いま、世界は何を反省すべきか

神と信仰を取り戻せ