2011年6月号記事
国鉄やJAL同様もはや“倒産”状態
「日本の教育」経営再建プラン
予算ばかり食って学力が伸びない「生産性」の低さ、「親方日の丸」の甘えから来るサービスの悪さ、「組合体質」に基づく権利の主張と現場の堕落――。公立学校は旧国鉄やJALと同じく“倒産”状態にある。子供たちのためにも、頑張っている先生たちのためにも、いったん“潰して”自由な競争にさらすのが一番だ。(編集部 田中司、山下格史)
公教育三つの倒産症状
日本の公教育は、もはや倒産していると見るべきである。
1980年代後半にいじめ問題が深刻化してから20数年、教育問題はすでに十分すぎるほど議論されてきた。にもかかわらず、公立小中学校を中心とする学力低下やいじめ、不登校などの問題が目に見えて改善しないのは、なぜか。
理由の一つは、教育問題では「何が正しいか」をめぐる議論が主観的になりやすいことだ。例えば、子供の学力を競わせるのはいいのか悪いのか。習熟度別のクラスや教材は差別かそれとも公平か――。誰もが意見を言いやすい分野だけに、ともすれば主観の違いやイデオロギーの世界に紛れ、結論が出にくいところが教育問題にはある。
「生産性」が低すぎる
そこで本誌は、公教育の問題を考えるにあたって、いったん「教育問題」の土俵を離れ、教育サービスという公共事業体の「経営問題」としてクールに捉えてみることを提案したい。
経営的観点に立って分析すれば、日本の公教育が全体として〝潰れている〟ことは、次の三つの点から紛れもない事実だ。
(1)毎年、莫大な税金を吸い込み続けている(高コスト体質)。
(2)にもかかわらず、子供の学力や心の成長など、教育の成果が低すぎる(品質の悪さ)。
(3)そのため〝顧客離れ〟が進み、今や私立や塾・予備校との競争に完敗している(競争力のなさ)。
要するに、日本の公教育の現状はビジネス用語で言えば、あまりにも「生産性が低い」のだ。これが民間企業なら競争相手に顧客を奪われて赤字になり、とっくの昔に淘汰されて姿を消しているだろう。
ところが公教育は淘汰されず消えもしない。地域住民の税金で賄われているので、どんなに仕事のパフォーマンスが悪くても絶対に潰れないのである。
文部科学省の2009年度の地方教育費調査によれば、幼稚園から高校までを含む学校教育費は年間13兆5千億円。これは地方の行政費全体の約15パーセントを占め、私たちの税金の使い道として非常に大きい。単純計算で国民一人あたり年間10万円だ。その最大部分の75パーセントにあたる10兆円が、教員と事務職員の人件費である。
負けを認めた? 公教育
それだけのコストをかけても、それに見合うしっかりした教育をしてくれているなら文句はない。だが実態はどうか。
大阪市在住の主婦Mさんは最近、地元の学習塾の講師を始めた。Mさんはその塾で、授業の合い間に公立の中学生たちが、学校での出来事についてこんな雑談をしているのを耳にした。
「◯◯君が数学の××先生にわからない問題を質問しにいったら、先生から『お前が行ってる塾(その塾)の先生のほうが、ちゃんと教えてくれるんちゃうか?』って言われて、教えてもらえなかったんだって」
Mさんがその話を塾長に伝えると、塾長は苦笑して言った。
「学校は子供の成績に責任をとってくれませんから。親も学校にそんなことを期待していませんし」
実際この塾は、多くの塾同様、高校入試直前は土日も返上で生徒の勉強を見ていた。
数学の××先生の言葉は塾に行っている生徒への嫌味なのか、それとも、教える能力や親切さにおいて塾のほうが上だと自ら認めているのか。もちろん、全員がこんな情けない教師ばかりではないだろうが、なぜ公教育は全体として、塾や私立に負けているのか――。
次ページから識者の意見を聞きつつ検証したい。