オンライン会議「Zoom(ズーム)」の運営会社が6月中旬、天安門事件に関する会議を開催した在米活動家のアカウントを一時停止していたことが明らかになった。ズーム社が「中国政府の要請」によってアカウントを停止したことを発表し、その対応に批判の声が高まっている。
同会議を開催した人権擁護団体「人道中国」トップで、天安門事件の元学生リーダーの周鋒鎖氏に話を聞いた。その内容を、2回にわたってお届けする。今回は、その前編。
(聞き手:国際政治局 小林真由美)
中国本土からも多数の参加者
「人道中国」主席
周鋒鎖
プロフィール
(しゅう・ほうさ/Zhou Fengsuo)1967年、中国の西安市生まれ。北京にある清華大学在学中、天安門広場での民主化運動で学生リーダーとして活動。95年にアメリカに亡命し、シカゴ大で修士号(MBA)を取得。卒業後から2017年まで金融業界で働いた。2007年に人権団体「人道中国」を設立。
──ズームのアカウントを一時凍結された事件が注目を集めています。きっかけになった天安門関連の会議とは、どんなイベントだったのですか?
周: 1989年6月4日の天安門事件から今年で31年を迎えるにあたり、5月末に、天安門事件の真相をよく知るスピーカーたちが事件について交代で語るスタイルのイベントをズームで開催しました。目的は、天安門事件の犠牲者を追悼するとともに、各国で事件の真相を伝える活動を続ける仲間たちが連携する場とすることです。
スピーカーとして招待したのは、天安門事件の元学生リーダー、子供を亡くした遺族たちによる「天安門の母」、事件後17年間投獄された北京市民、香港で毎年追悼集会を主催している団体の代表、学者や作家、台湾人活動家などでした。
世界中から約250人が参加し、約4000人がソーシャルメディアのストリーム配信で視聴しました。天安門事件の情報が厳しく封鎖されている中国本土からも多数が参加しました。
中国本土からも多数の参加者がいたことは、私たちにとってもうれしい驚きでした。中国政府が31年間、全力で情報封鎖してきたにもかかわらず、多くの中国人が天安門事件の真実を求めていると分かり、「やはり真実には力がある」と思いました。
しかし、イベントから約1週間後の6月7日、私のズームの有料アカウントが何の説明もなく凍結され、数日間使えなくなりました。同様に、アメリカ在住の天安門元学生リーダーの王丹氏と香港民主化デモの活動家である李卓人氏のアカウントも一時凍結されました。ズームの運営会社に問い合わせても、何の返答もありませんでした。
その後、このニュースが米メディアで報じられると、ズーム社は、中国政府が「天安門事件関連イベントの開催は中国国内では違法だ」として同社に対応を要求したことを明かしました。
ズーム社が中国共産党からの圧力で活動家のアカウントを停止したということは、アメリカ企業が独裁的な中国政府と協力して、天安門事件の記憶を消し去ることに加担したということであり、許されるべきことではありません。アメリカ在住者のアカウント停止は言論の自由の侵害であり、この国の精神にも反しています。
中国の過去の真実が未来を拓く鍵になる
──周さんは、天安門事件後、中国当局が発表した「最重要指名手配者」のナンバー5だったといいます。天安門広場でどのような活動をされていたのですか。
周: 当時、私は北京の清華大学で物理学を学ぶ4年生でした。学生の意思決定機関である「北京学生自治連盟」のリーダーに選ばれ、天安門広場に「学生運動の声」という放送局を設置し、学生の意見を取りまとめる役割を担いました。学生たちが政府との対話を求めてハンガーストライキをしている間は医療支援活動を行っていました。
──天安門虐殺が起きた6月3日の夜から4日未明にかけては、広場にいらっしゃいましたか?
周: 夜まで清華大学で活動した後、人民解放軍の精鋭部隊である38集団軍が天安門広場に向かっているという情報を聞きつけ、現場に向かいました。非常に危険な事態になると分かっていましたが、学生リーダーとして見届けることが自分の責任だと思いました。
天安門広場に到着すると、催涙弾の臭いが充満していました。すでに民衆に向けた無差別発砲が始まってから10分ほど経過しており、血だらけの人、走って逃げ惑う人をたくさん見ました。人生で初めて見る戦争のような光景でしたが、片方は戦車・機関銃・軍隊で、もう片方は何の武器も持たない学生たちです。
清華大の学生にも死者が出たと聞き、戦車が天安門広場から去った後に近くの復興病院に向かいました。病院の外には40体以上の遺体が白い布に覆われて並んでいました。病院は負傷者であふれかえり、遺体を収容できなかったようです。同級生の遺体を見つけ、「人間の命の意味とは何なのだろうか」と絶望しました。
私が「天安門事件を忘れるな」と言い続ける理由は、中国の過去の真実を知ることが、中国の未来を拓く鍵になるからです。
多くの人は虐殺の凄惨さばかりを強調します。しかし天安門事件が起きる前の中国は、国民が自由に政治についての意見を言え合える、とても希望に満ちた時期でした。人々は中国がより良く変わると信じていました。その希望は戦車の前に砕け散りましたが、あの時の学生の勇気ある行動は、今も中国の民主化を求める人たちを感化し続けています。
今の香港の状況は天安門事件の時と同じ
私たち活動家が今注視しているのは、「香港国家安全法」が適用された今の香港の危機的な状況です。今の香港は、31年前の天安門事件の時と同じような状況になっています。
反政府デモを行う香港市民を「暴徒」とみなし、警察による逮捕や武力弾圧を正当化する。中国政府は31年前と同じことを今、香港で行おうとしているのです。
(後編に続く)
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