インド北部のグルガオンで取材に応じる柴田さん。
次なる市場として注目を集めるインド。ユニクロやカレーチェーンのココイチも、このほど進出を発表した。
一方で、地理的にも文化的にも距離が遠く、進出を躊躇する日本企業も多い。
インドで日本人向けフリーペーパー「シバンス」を発刊する柴田洋佐(ようすけ)さんに、インド進出のリアルを聞いた。
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隔月発刊のフリーペーパー「シバンス」。コンサルタントや税理士、レストラン、カラオケバーにいたるまで、幅広くインド情報を紹介する。
──なぜ、インドで日本人向けの雑誌を発刊しようと思われたのでしょうか。
柴田洋佐さん(以下、柴): シバンスという雑誌は、私の「柴田」という名前からつけたのではなく(笑)、ヒンドゥー教のシヴァ神が由来なんです。シヴァ神は人々の不安や恐怖などの負のエネルギーを破壊して、その上で創造を行う神様です。
多くの日本の方にとって、インドってよくわからない場所だと思います。例えばご主人のインド赴任が決まったとすると、基本的にはご家族は猛反対ですよね。アメリカとかシンガポールとかいろんな国がある中で、「なぜインドなのか」となる。おそらくそれは単身者も一緒で、インド赴任を命じられた多くの方が、「本当にインドで大丈夫なのかな」と不安になると思います。
インドの素晴らしいところを伝えることで、そうした不安や恐怖を払しょくしたい。「シバンス」という名前には、そうした思いを込めています。
想像していたインドとかけ離れていたバンガロール
柴: というのも、不安や恐怖を感じる大きな理由が「情報のギャップ」にあると感じるからです。知らないから、ますますインドを嫌だと思ってしまう。僕自身、インドに来る前は「カレーの国」というイメージしかなく、「そこら辺を象が歩いていて、どこでもガンジス川が流れている」と思っていました(笑)。
私が初めてインドに来たのは、2012年7月。日本の学生や若い社会人に海外研修を体験してもらう仕事をしていた関係で、ITで有名な南部のバンガロールに行くことになりました。
すると、私が想像していたインドとかけ離れた世界が広がっていたんです。過ごしやすい気候で、いろんな店があって、牛肉を食べるレストランもある。行ったことのない場所を訪れるのが好きなので、バンガロールを巡って素晴らしい店をいくつも発見しました。
一方で、日本からいらっしゃっている駐在員の多くが、インドを十分に楽しめていないようでした。それもそのはず、ほとんどの方が、工場と家と日本食レストラン、そしてゴルフ場という4つの場所を行き来しているだけだったんです。
皆で日本食レストランに行っては、インド人の悪口を言い合いながらお酒を飲む。そして任期が終わると、まるで刑務所から出所するように「お勤めご苦労さま」と見送られる。そうした姿を見ていて、なんだか切ないなと思っていました。
確かに、土曜、日曜を費やしてインドのお店を開拓するのは大変ですよね。なので、フリーペーパーという形で「情報ギャップ」を埋めて、少しでも駐在期間を楽しんでいただきたい。そう思ったのが、雑誌をつくり始めたきっかけです。刊行から7年経った今も、その思いは変わっていません。
──インド駐在を考えている中小企業の経営者も多いと聞きますが、そうした方へのアドバイスをお願いします。
柴: まずはぜひ、バンガロールにいらしてください。ここは、本当に年中「軽井沢」ですから! いきなりデリーなど厳しい地域を視察されるから、「これは無理だ」と進出を諦めてしまうのではと思います。
バンガロールは、確かに日本と比べればハードな環境ですが、他のデリーやムンバイほどにはギャップがありません。気候は涼しく、北部と比べて現地の人も穏やかで優しい。実は私も、汚いところが苦手で虫も嫌いだったのですが、バンガロールから始めたおかげでなんとかやってこられました。もし最初に訪れたのがデリーだったら、今ここで仕事をしていないでしょうね(笑)。
まずはバンガロールでインドへの免疫をつけていただいて、その上で他の場所にステップアップしていく。そうすると、ある程度心づもりができているので、そこまで拒否反応を起こさないと思います。
インドはEUのようなもの
柴: ただ、実際にどの州で事業を展開するかという話になると、業種に最も合った州を慎重に選んだ方がよいと思います。
インドは一つの国ではあるものの、州によってキャラクターが全く違います。私の尊敬する方は「インドはEUのようだ」と表現しますが、7年滞在してみて、まさしくその通りだと実感します。
日本に帰ると、よく「インドの話を聞かせて」と言われますが、「どのインドについて話せばいいんだろう」と悩んでしまいます。これは例えて言うと、イタリアに行った人に「EUについて聞かせて」と言うようなものかもしれません。それほど、インドは多様です。
インドへの「期待値」を調整し、手堅く制覇していく
柴: また、インド進出となると、13億人という巨大なマーケットに目が行きがちです。
ですが、デリーやムンバイなど都市部にいる人口はほんの2000万から3000万人ほど。13億のマーケットを求めて進出したのに、目の前にあるのは2000万人のマーケットです。
インドでビジネスをするにあたって、この「期待値」と「現実」のギャップをどう調整するかが問われます。インドに進出されている日本企業を見ていても、期待値調整に苦労されているようですね。
この期待値を調整できず、「デリーとムンバイを合わせれば5000万人くらいのマーケットになる」と考える方も多いですが、飛行機で2時間ほどかかる距離なので、東京と大阪のような感覚とは違います。それを同時にマネジメントするのは、非常に難しい。
大企業であっても、13億人のマーケットだからと手広く資金を投下した結果、撤退せざるを得なくなったという話をよく聞きます。なので、最初から全土で展開するという進め方ではなく、まずは一つの州に絞り込み、そこで成功したら他の州にも進出していくという、手堅いマネジメントがいいのではないかと思います。
まだまだ少ない民間レベルでの交流
──短期的な利益を求めるのではなく、長期的な戦略を描く必要があるのですね。タイやベトナムなどすでに開拓された市場ではなく、あえて厳しい環境のインドに進出するには、志や使命感がなければ難しいように感じます。
柴: その側面はありますね。もちろん、最初から儲かっている日本企業もありますが、あまり最初からリターンは期待できないというのが正直なところです。
ただ、私も最初から大きな志があったわけではありません。今でこそ、日印の絆を強める一助になりたいと思い、訪日旅行を後押しする新事業を立ち上げようとしていますが、それも7年間インドにいたからこそ芽生えたものです。何か小さくでも事業を始めて、それが世の中の役に立っているというのを実感する中で、志や夢が育っていくものだと思います。
なので、すべてが整った環境ではありませんが、たとえ失敗しても人に語れる"ネタ"になると開き直って(笑)、ぜひ思い切って挑戦していただきたいですね。
実際インドを回っていると、日本人はまだまだ本当に少ないです。
この広いインドで、日本人はたった1万人ほど。日系企業グループの会社も含めて、進出している日本企業は1400社しかありません。一方、中国には13万人近くの日本人が住み、1万3000社以上の日本企業が進出しています。
もっとインドに進出する日本人が増え、それによって日本という国に興味を持つインド人が増えてほしいですね。
インドは「実力」が厳しく問われる国
──インドに派遣する人材としては、どのようなタイプを選ぶべきでしょうか。
柴: エース級を送らないと、インドでは太刀打ちできないのではないかと思います。従業員も取引先も、こちらの実力をシビアに見てきますから。
例えば、弊誌では広告を取ってくる営業担当のインド人を雇っていますが、「この地域では広告が取れない」と言ってくることがあります。そんな時でも、私が一緒に現場に出て実際に広告を取ってくると、納得して営業を再開します。
営業相手も、こちらの実力を計ってきます。日本人と違って、インド人は当然のように値引き交渉をしてきます。ここで引いてしまう日本人も多いようですが、私は絶対に値引きはしません。自分の商品に自信がありますし、こちらがどれほど商品に自信を持っているのかを見極めるためにふっかけてくる場合もありますから。値引きの交渉を無視した上で、「どのようにしてあなたの課題を解決できるか」についてコミュニケーションする。そうすると、値引きをせずとも広告枠を買ってくれます。
なので、日本でも通用する強みを持っていないと、インドで成果を上げるのは難しいですね。
厳しいことを言うようですが、魅力のない日本人が腰掛で駐在したとして、現地のインド人は言うことを聞かないでしょう。彼らの側からすると、魅力のない上司に仕えなければならない忍耐の期間だと思っているかもしれません。
やはり、13億人のうちほんの一握りではありますが、インドはグーグルやマイクロソフトのCEOを輩出している国だということを忘れてはなりません。だからこそ、インドで働く日本人には、彼らに尊敬され続けるための努力が求められます。
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