枕崎市の南端にある平和記念展望台の慰霊碑には平日にも関わらず、多くの人が参拝に訪れていた。
2019年5月号記事
地域シリーズ 鹿児島
戦艦「大和」の英霊に捧ぐ─
鹿児島から、日本を守る。
戦艦「大和」の沈没地から近く、今も国防の要衝である鹿児島。
現地を訪れ、大和の乗組員の志、そして今、奄美大島などに忍び寄る
国防の危機について考えた。
(編集部 駒井春香)
鹿児島県枕崎市の西南西およそ200キロメートル沖で、1945年4月7日、戦艦「大和」が撃沈された。慰霊碑がある同市の平和祈念展望台では毎年、慰霊祭が行われている。
世界最強の戦艦と呼ばれた大和は、第二艦隊を率いて沖縄の防衛に出撃。敵空母艦載機群の猛攻撃を受け、第二艦隊全体で4037名(*)が犠牲となった。
「無用の長物」などと揶揄される大和。しかし大川隆法・幸福の科学総裁は、書籍『青銅の法』で、無謀な作戦と理解しながらも大和の乗組員が出撃した理由として、「沖縄の人々の四分の一が殺されるような戦況でもあったので、『一矢を報いないではいられない』という純粋な気持ちもあったのではないでしょうか。やはり、尊い気持ち、『武士の魂』はあったのではないかと、私は思います。(中略)アメリカ軍は、南方戦線での激戦や沖縄戦等を見て、『日本本土に上陸すれば、自国の兵が百万人は死ぬ』と考えて、その前の段階で止めてしまったところもあったと思うのです」と記している。
勝ち目がないと知りつつも、懸命に戦った英霊たちのおかげで、日本が守られたことは事実と言えるだろう。あまり語られてこなかった、戦艦「大和」の乗組員たちの志を探った。
(*)『日本人と愛国心』(PHP研究所)
国防の重要地点・鹿児島
そして、鹿児島は現在も、国防の重要地点だ。台湾から沖縄、そして奄美大島などを有する南西諸島、鹿児島本土にかけては、軍事拡張を続けている中国の海洋進出を妨げる"フタ"のような存在だ。そんな鹿児島には、今、さまざまな形で他国からの魔の手が忍び寄っている。
奄美大島の現地リポートなどから、鹿児島、そしてかつて大和の乗組員たちが命を懸けて守った日本が直面する危機と、未来の発展の可能性について伝える。
1941年9月20日、呉工廠で最終艤装備を行う戦艦「大和」。
欧米に脅威を与えた戦艦「大和」
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