《本記事のポイント》
- 日本は26人のノーベル賞受賞者を輩出しているが、10年後は激減する可能性も
- 研究の背景にある「権威主義」に流される予算配分の仕方
- 予算を増やすとともに、自由性を高めて競争を促す方針への転換を
京都大学名誉教授の本庶佑氏が、ノーベル生理学・医学賞の受賞者となり、日本中が喜びに包まれた。日本人のノーベル賞受賞者は26人目。自然科学3分野に限れば、受賞者数は世界で第5位となる。
このように輝かしい業績を打ち立ててきた日本だが、10年後にはノーベル賞は激減すると指摘する識者もいる。その理由は、「日本の科学技術力の低下」だ。
科学技術の基礎となる大学の研究費は、2016年にドイツに初めて抜かれ、4位に転落した。また、今年の日経新聞の調査では、若手研究者のアンケートで、回答者の8割が「科学技術の競争力が低下している」と答えた(「どちらかというと低下した」も含む)。研究時間と予算の不足が原因と見られる。
予算の不足は、この手の話ではしばしば話題に上る。だがそれに反して、科学技術予算は「横ばい」であまり変わっていない。当然、急増する中国などと比べると見劣りするのは事実だが、日本の予算自体は変わっていない。
「予算不足」には何か別の問題が隠れていそうだ。
予算不足の背景にある問題
「日本は財政赤字なのでこれ以上、予算を科学技術にあてられない。だから、選択と集中が必要だ」
このような発想のもとで、科学技術関連予算の「大型化」が進んだ。その反面、研究者は小口の研究費を取りづらくなり、予算を得るために「短期的に成果を出しやすいもの」を狙う傾向が強まった。その結果、大きなイノベーションのもとになる基礎研究を軽視する風潮が強まることになる。
もともと基礎研究は「千三つ」と言われ、1000ある研究のうち、成功するのは3つだけと言われている。プロの研究者でもそれだけ難しいのであれば、役人が考える「選択と集中」で成功する確率はもっと低いだろう。従って、基礎研究自体が「選択と集中」に不向きであると言える。
一方、政府の「選択と集中」の評価も不十分だ。
予算の大型化に伴い、研究開発の現状と実用化の目標を示す国のロードマップが多数作られた。しかし、責任の所在が不明確で、結果の検証も十分ではない。「国家としてのビジョン」も欠如しているため、場当たり的で予算獲得の方便に使われているのが現状だ。
はびこる権威主義
政府主導のプロジェクトの運用も、不透明さが際立つ。
今年4月、5年間で計1500億円という巨額の国家予算を投じる「戦略的イノベーションプログラム(SIP)」において、第2期12テーマの統括役の内定者11人が発表された。統括役は公募制にもかかわらず、内定者10人は役人の推薦で、ほぼ無競争状態。さらにメンバーは、大物学者がずらりと並ぶ。
別の支援プログラムである「革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)」でも問題が生じた。ImPACTでは、「ハイリスク・ハイインパクトな研究」から「非連続なイノベーション」を創出するという目標を掲げ、5年間で総額550億円が投じられた。
5年で30億円もの公費があてられた、あるプロジェクトは、「カカオを多く含むチョコレートを食べると脳が若返る可能性がある」との研究成果を発表。当初は話題となったものの、裏付けが不十分との批判を招いた。また、仮にこの成果が事実だとしても、研究テーマ自体が「非連続なイノベーション」にふさわしいか疑問も残る。
そしてそのプログラムも例に漏れず、チームには大物研究者が名を連ねている。中身を公平に判断することなく、権威になびく姿勢がうかがえる。
こうして見ると、たとえ予算総額が変化していなくても、役所の方針が権威主義的で、若手研究者に予算が回りづらい現状と言える。科学技術分野のノーベル賞のうち、半数以上が40歳までの業績によるもの。「日本の研究力」復活のためには、硬直的・閉鎖的な文化を変える必要がある。
予算を増やすとともに、自由性を高めて競争を促す
断トツのノーベル賞実績を誇るアメリカと比べてみると、日本の大学予算は、政府の役割に多くを依存している。当然、アメリカも政府が果たす役割は欠かせないが、民間の存在感が非常に大きい。
例えば、ビル・ゲイツ夫妻による「ゲイツ財団」は、2017年の1年間だけで47億ドル(約5400億円)の研究助成を行っている。
日本も、国債発行も視野に入れ、予算の絶対量を増やすことは大事であるが、減税や規制緩和を通して、民間の資金を呼び込むことが必要だ。そうすることで、研究の自由性が生まれるだろう。また、政府と民間の研究競争によって、全体の「研究の質」の向上も期待できる。
大学自体の改革も必要だ。たとえば、客観的な成果で人事評価ができるように、わかりやすい情報公開を進めるべきである。新規参入を促すためにも、大学設置認可の緩和を進めるとともに、ずさんな経営をした大学を淘汰する制度を整えていく。
安易な補助金で「停滞した大学」を温存するのではなく、適度な競争によって「変革する大学」が生き残れる制度設計が望まれる。それこそが、日本の閉鎖的な大学文化を打ち破り、「日本の研究力」の復活につながるだろう。
(HS政経塾 藤森智博)
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