教育の無償化に向けて、自民党内で議論が活発化していることを23日付各紙が報じている。

無償化については、3日の憲法記念日に東京都内で開かれた改憲に関する集会で、安倍晋三首相が寄せたビデオメッセージに端を発する。

「高等教育についても、全ての国民に真に開かれたものにしなければならない」。首相のこのメッセージには、憲法を改正し、専修学校や大学などの高等教育の無償化に乗り出す意図が込められている。

歓迎したくなる人も多いだろうが、本当に国民が幸せになるか、日本が良い国になるか、チェックすべきだ。

長い目で見れば、日本の学問の進歩を妨げる

「教育無償化」と聞いて、2009年夏に発足した民主党(現・民進党)政権を思い出す人もいるのではないか。同党は、マニフェストの目玉政策の一つとして「高校の授業料の無償化」を掲げ、衆院選で大勝した。この"焼き直し"と言えるのが、今回の自民党の「無償化」政策だ。

この政策の弊害の一つは、「学問の自由」が侵害されること。例えば、ある教育機関を無償化の対象として認可するか否かは、最終的に、政府の判断にゆだねられるため、逆に言えば、政府の気に食わない教育機関の設立は難しくなる。

そうなれば、必然的に、政府が教育内容に介入する余地ができ、学生たちが自由に議論をしたり、学問を修めたりすることはできなくなる。

その弊害は1年や2年では分からないかもしれない。しかし、長い目で見れば、日本の学問の進歩を妨げることは確実だ。無償化と引き換えに、失うものが大きすぎる。

学生の成績が伸びなくても「うちは無償ですから」

また、無償化にすれば、日本全体の教育の質は落ちていくだろう。

例えば、「お金は要りません」という塾には、優秀な講師は集まらないし、多くの親も子供を通わせたくないはずだ。親から「もっといい授業をしてほしい」「子供の成績が伸びない」というクレームを受けたとしても、常に「うちは無償ですから」と言い訳できる。

全国の大学が、そんな状態になれば、どこに編入しても同じで、手遅れになる。

やはり、教える側が一定のお金をもらうことで、教える責任、結果(子供の成績)に対する責任が生じる。健全な切磋琢磨の中でこそ、教育機関も磨かれ、日本全体の教育水準も上がっていく。

「魅力的な大学をつくってはいけない」という法律は、是か非か

こうした中、安倍政権は、大学への干渉をさらに強めている。

23日付読売新聞は、内閣官房まち・ひと・しごと創生本部の有識者会議が、ある法規制の導入を柱とした中間報告を山本地方創生相に提出したことを報じた。

その中身は、学生の東京一極集中を是正するために、東京23区にある大学の定員増を原則として認めない、というものだ。つまり、「魅力的な大学をつくり、多くの学生を集めてはいけない」というもの。大学を一企業として考えれば、「魅力的な商品・サービスをつくり、多くの客を集めてはいけない」ということ。どれだけおかしな法律をつくろうとしているかが分かるだろう。

近年、安倍政権が打ち出す政策には、民進党や共産党などの支持者の取り込みを目指した左翼的な政策が多い。だが、国民のさまざまな「自由」を、一度、政府に預けてしまったら、それを取り返すことは極めて難しくなる。

教育無償化などの目先の"エサ"に食いつくのでなく、これから後に続く未来の日本人のためにも、今、私たちは「大きな政府」に対して、「ノー」を突きつけるべきだろう。(格/詩)

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