現行の大学入試センター試験に変わり、2020年度に導入予定となっていた共通テスト「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」について、馳浩文部科学相は、導入を先送りにする可能性を示唆した。日本経済新聞が報じた。
馳文科相は、学校現場から学力評価テストの問題イメージが示されていないことなどに不安や批判の声が出ていることを踏まえ、「現場の理解を得ないと進めることはできない。現場に浸透するようなやり方を模索していく」と述べた。
新しい学力評価テストは複数回にわたって実施されるため、試験の運営についても現場の不満は高まっているようだ。朝日新聞と河合塾の共同調査では、問題の管理や答案の輸送、試験監督の配置など負担感が大きく、国立大の7割弱が実施について「厳しい」「かなり厳しい」と回答している。
しかし問題の本質は、この新しいテストが教育上プラスを生む施策かどうかという点だ。
新しい共通テストの導入に意欲を燃やしていた下村博文前文部科学相は、現行試験は知識偏重の試験であり画一化した人物が育つとして、「思考力・判断力・表現力」を重視し、単なる暗記ではなく「総合的な能力・意欲・適正を評価する試験」への改革を図ろうとしていた。
だが、知識偏重の試験を悪と見て、思考力や意欲を測ろうというのは、大失敗した「ゆとり教育」に流れている思想とそっくりである。
大学入試は、大学の講義を受ける上での基礎力を測定する目的があり、知的訓練を行う上での大きなモチベーションになる。高校までの学習内容をしっかり定着させることは、社会人になった際に正確で有用な仕事をする上で大きな力になるし、何より「努力して目標を達成する」「努力が報われる」という正しい人生観を育むのに役立つ。生まれや環境に関係なく、試験を突破すれば人生の可能性が開かれるという意味では、純粋に学力を問う試験は、最もフェアであるとも言える。学力以外で判断されるなら、試験官の「恣意」が入らないとも限らず、不透明だ。
さらに言えば、基礎的な知識は思考や判断を行う上での「材料」になる。その意味では、記憶力や知識量を問う試験は、思考力や判断力をある程度測ることが可能だ。
今の段階で新しい学力評価テストの問題イメージが示されていないこと自体、「思考力・判断力・意欲」を共通テストで測ろうとする発想の誤りを示している。
もちろん、社会での成功には、学力だけでなく、人間力や精神性などが大きくものを言う。これについては、道徳教育、宗教教育をしっかり行えばよい。正しい宗教教育は、公に奉仕するために学力を高める「意欲」も育むことができるだろう。
あいまいな評価基準のテストの実施は見送り、努力で人生を切り開いていけるフェアな入試を実施すべきだ。(小川佳世子)
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