トヨタ自動車の中興の祖・豊田英二氏が17日、心不全のため死去した。100歳だった。

英二氏は、トヨタ自動車の創業者・豊田喜一郎氏のいとこで、その右腕としてトヨタの躍進の原動力となった。5代目社長を経て、晩年は最高顧問を務めていた。

間違いなく、松下幸之助、井深大、盛田昭夫、本田宗一郎らと並ぶ、戦後日本の最高の経営者の一人だ。

その偉業を振り返るために、いくつかのエピソードを紹介したい。

昭和25年、英二氏が37歳の時、渡米して当時最先端だったフォードの工場を視察した。その時の英二氏の感想はこうだった。

「デトロイト(フォードの工場があった街)ではトヨタの知らないことをやっていない」。

フォードの生産力は日産8000台だったのに対し、トヨタはわずか40台だった頃の話だ。実に200倍の差がありながら、まったく脅威に感じなかったという話だ。

昭和34年、国内の自動車需要が増加したことを受けて、大規模な工場を建設しようとした。当時、主力のクラウンの月販が2000台の時代だったが、思い切って1万台つくれる工場をつくることにした。5000台の規模でも冒険と言われた。しかし、英二氏は実績の5倍もの規模の工場をつくってしまった。大冒険だったが、その年の年末には本当に月産1万台を達成してしまったという。

昭和40年代に入ると、本格的なモータリゼーションの波がやってくる。東京五輪の直後だったが、トヨタはカローラのヒットで、その波に乗る。しかし、この時の成功を英二氏は次のように振り返っている。

「カローラはモータリゼーションの波に乗ったという見方もあるが、私はカローラでモータリゼーションを起こそうと思い、実際に起こしたと思っている」

ものすごい自信である。

寡黙な人柄で知られたため、同時代に活躍した松下や本田に比べて、やや地味な印象を与えているが、心の中には自身の手で日本を発展させんとする気概にあふれていた。

今の日本に欠けているのは、まさにこの気概であろう。

英二氏が天に召されたのを機に、日本の高度成長が起きたのは、それを担った一人ひとりの経営者の気概であり、志が原因であったことを、今一度かみしめたい。(村)

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