地方創生が叫ばれているが、その鍵を握るのが、各地の「商店街再生」だ。地域の中心街が寂れていながら、全体が栄えることはあり得ないためだ。

しかし、「店舗の集合体」を再建することは、一つの企業を復活させたり、まったく新しい街を開発したりするよりも、難易度が高い。全国でも、各自治体は苦戦を強いられている。

そんな中、数少ない成功例として有名な事例の一つが、宮崎県日南市の油津商店街だ。

「猫さえ通らない」と地元住民から揶揄され、あまりの人通りの少なさに子供が野球場代わりにしていたシャッター街が、数年後、IT企業が10社もひしめく街に変貌した。

本誌5月号特集「人口が減っても客は増える シャッター街、赤字企業のV字回復物語」では、同商店街の復活物語を掲載している。

本欄では、その「奇跡の風景」を、写真と共にレポートする。

のどかな駅ホームと「カープ色」の駅舎

まず強調したいのは、立地の「辺ぴさ」だ。決して地域を貶めたいわけではなく、それだけ、これから紹介する風景が奇跡的であり、全国の希望になり得るということだ。

宮崎空港から、1~2両編成のJR日南線に揺られて、2時間――。九州南東の海岸近くにある油津駅から、徒歩約5分のところに、油津商店街は存在する。

駅ホームの、のどかな風景をご覧頂きたい(下写真)。

こののどかなホームから、線路の上を歩いて駅舎に向かい、切符を係員に渡す。そして駅舎を出て、ふと振り返って、驚いた。

駅舎は真っ赤に塗られ、「カープ油津駅」という文字と、日本プロ野球・広島東洋カープのマスコット「スラィリー」の絵が描かれているのだ(下写真)。

この油津にある球場が、広島カープのキャンプ場となっている。油津商店街は、それを"資産"として最大限に活用した。カープの試合を応援する、パブリックビューイングを開催するなどして、地域住民が交流する場を設けた。もちろん、域外にPRする話題性の創出にも一役買っている。

静かな路地と、アーケードから響く洋楽

駅前通りから、やや細い路地に曲がり、しばらく歩く。その先に、油津商店街のアーケードが見えてくる(下写真)。

この路地は、平日の昼間ということもあり、人通りもなく、静かだった。しかし、アーケードに近づくと、なんと、都内の若者向け洋服店などに流れている、ハイテンポな洋楽が聞こえてくる。

住宅街の中に、突然、「若い街」が出現するのだ。

「懐かしさ」と「新しさ」が共存するカフェ

先ほどの駅ホームとのギャップに驚きながら進むと、入り口付近で、スタイリッシュなカフェが目に入って来た(下写真)。

このカフェの名前は「ABURATSU COFFEE」。詳細の説明は本誌記事に譲るが、商店街の復活物語において、この店が心理的にも経営的にも、重要な役割を果たした。

このカフェは、昔から商店街にあった喫茶店を、リノベーション(改装)している。レンガづくりの外観や、「麦藁帽子」という店名が、当時の面影を残す。「ああ、こんな喫茶店、うちの近くにもあった」と感じる読者も多いのではないだろうか。

店内に入る。すると、都会のカフェさながらのカウンターが目に飛び込んでくる(下写真)。

メニューも、「パンケーキセット」など、若者好みのものが多い。記者の主観だが、注文した「ハニーミルクラテ」は都内のカフェで飲むよりも、濃厚でおいしかった。

客席に目を転じる。するとそこには、カウンターとは対照的なレトロな風景が広がっていた。木の仕切りと、カラフルな照明は、昔のままのものを使っているという(下写真)。

席について、さらに驚く。なんとコンセント、Wi-Fi完備なのだ。記者はここでパソコンを開き、取材内容をまとめていたが、非常に過ごしやすかった。

あたりを見回すと、30代くらいのサラリーマンがパソコンを開いて仕事をしている。さらに、子連れママ友グループ、比較的高齢の女性グループがそれぞれお茶会をしていた。

この世代を超えた客層は、「ABURATSU COFFEE」、そして油津商店街が成功した理由を象徴している。

商店街再生の中心メンバーは店舗改装に先立ち、地域住民を集めて「麦藁帽子の思い出を語る会」というものを開催した。そこでは、「主人と初めてデートした場所」といった人々の記憶が掘り起こされた。改装において「残すべき面影」が明確になったと同時に、住民の商店街や喫茶店への愛着を取り戻すきっかけとなった。

残すべき面影を残しつつ、その他の部分は、若者の好みや意見をふんだんに取り入れて、思い切って改装した。正面をぶち抜いて、ほぼ全面をガラス張りしたのも、その一環だ。

街に対する住民の心理的な情感を受け継ぎながらも、新しいものを創造していく――。そんな姿勢が見て取れる。

お洒落な店々

カフェのすぐ隣には、「和モダン」な豆腐屋がある。この店は、呉服屋の跡地に入ったという(下写真)。

商店街再生の中心メンバーは、既存の店を誘致するのではなく、出店を志している料理人を口説いて、商店街で「起業」をさせた。オーナー夫婦の店舗経営を支えるのは、地元出身の30代の人たち。うち2人は「Uターン」してきた。

さらにアーケードを進むと、スイーツなどを売る、お洒落なコンテナ店舗が並ぶ(下写真)。

ここはかつて、空き地になっていた。

店がコンテナなのは、少ない人数や経営規模でも、維持できる店舗とするためだ。人材確保が難しい地方ならではの工夫といえる。

中学生が"たまる"オープンスペース

こうしたお洒落な店々の反対側には、「油津yotten」という公民館がある。同じく詳細は本誌記事に譲るが、この公民館も商店街再生において、大きな役割を担った(下写真)。

公民館の中に設置された、「油津カープ館」では、カープの歴史に関する写真が展示され、関連グッズなども売られていた。

内装も、ガラス張りで、よく光が入るのが印象的だ(下写真)。

この土地はかつて、スーパーだったという。商店街の賑わいの中心だったスーパーが閉店し、巨大な廃墟になったことで、街の暗さは一層増したのだとか。

本誌記事で取材をした黒田泰裕・油津応援団代表取締役は、この公民館建設の資金集めに奔走した思い出を語ってくれた。

この公民館の隣には、またもや都会的な雰囲気のオープンスペースがある(下写真)。

写真撮影時は少しタイミングを逸したが、記者が最初に来た時には、中学生と見られる学生が大勢"たまって"いた。そこで、「こないだ、あいつさぁ!」などと話している風景は、とうてい、九州南東海岸近くの商店街とは思えなかった。

最初、このスペースには屋根があったそうだが、解体したという。日の光が入りやすい設計で、商店街全体の印象も明るくする意図だったとか。こうした印象の違いが、意外と集客を左右する。

IT企業と子供たちの声

そして、油津商店街の奇跡を象徴するのが、IT企業の誘致だ。最初に入って来たのが、東京にあるポート株式会社のサテライトオフィスだった(下写真)。

ここは昔、ブティック跡の店舗だった。このオフィスのデザインも、「日経ニューオフィス賞」「グッドデザイン賞」を受賞している。

IT企業進出の一つの要因として、行政スピードの早さがあった。

ある企業は当初、人口の少ない日南市へのオフィス展開を迷っていた。しかし、この懸念に対する役所への問い合わせに対して、「答えは(役所だから)半年後くらいに返って来るだろう」と思っていたにも関わらず、2週間で返ってきたので、驚いたという。それが、大きな決め手になったとか。

そしてこのIT企業の正面には、保育施設があった。ここから商店街には、常時、子供たちの声が響いている。

夕方になると、上記のIT企業などに勤めていた若いママたちが、子供を迎えにくる。商店街には、子連れで溢れる。

先述の黒田氏は「あんな風景、昔はなかった」と、嬉しそうに語ってくれた。

ここが、すれ違う人の多くは30代という、驚くほど若い街だ。

油津商店街の再生は、「商店街のためだけのもの」ではなかったのだとか。日南市全体の少子高齢化に対抗すべく、若者を集め、地域を支える人材を輩出するという「大義」があった。それがまた、多くの協力者を呼んだのだという。

たった200メートルの中に、地方創生へのヒントが、ぎっしりと詰め込まれている。

本誌5月号にて、この商店街の復活物語の詳細も、ぜひお読みいただきたい。(馬場光太郎)

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