2018年3月号記事

第65回

釈量子の志士奮迅

幸福実現党党首

釈量子

(しゃく・りょうこ)1969年、東京都生まれ。國學院大學文学部史学科卒。大手企業勤務を経て、(宗)幸福の科学に入局。本誌編集部、常務理事などを歴任。2013年7月から幸福実現党党首。

釈量子のブログはこちらでご覧になれます。

http://shaku-ryoko.net/

それでも「宗教政党」でいく理由

「政策はいいのだから、宗教の看板を下ろせば票が取れる」

「政教分離に違反している」

立党以来、私たち幸福実現党は、こうしたお声を幾度となく聞いてきました。

それに対して私たちは、政府の憲法解釈を引くなどして、「政教分離には反していない」と、半ば"弁明"するかのように説明することもしばしばでした。

しかし本稿では、信仰者としての原点から、「なぜ宗教政党が必要なのか」という本当のところをお話しさせていただきたいと思います。

偏狭な宗教と残忍な唯物論

日本人が、ここまで宗教への忌避感を持つようになったことは、理解できる面はあります。

戦前には、「国家神道」のもとに、仏教、キリスト教、教派神道が弾圧されました。戦後には、仏壇を投げ捨てるような折伏教団や、サリンによる殺人に手を染めた宗教も現れました。世界でも、宗教紛争は犠牲者を出し続けています。

一方で、「宗教など要らない」という思想も、計り知れない悲劇を、人類にもたらしました。

「神は死んだ」と叫んだニーチェの哲学を具現化したナチズムは、2500万人の犠牲者を生み、「宗教はアヘン」と断じる共産主義国は、歴史上、合わせて1億もの命を奪ったと言われています。

だからこそ私たちは、「様々な民族・宗派の共通基盤となり、進歩する科学技術とも共存できる新しい宗教観が、社会に必要だ」という考え方をしています。

宗教の本質は「感動」

しかし、もっと正直に言えば、宗教は"社会秩序の維持に必要だから"信じるという類のものでもないと言えます。信仰の本質は、感動にあるからです。

哲学者プラトンの『饗宴』という著書の中で、ギリシャで政治家としても活躍したアルキビデアスが、自らの師であるソクラテスの話を聞くと、「どんなに優れた弁論家の話や、どんな優れた音楽を聞くよりも、すごい状態に陥る。その言葉を聞くと、胸が高鳴り、涙が溢れて止まらなくなる」と、感動を語っている部分があります。この感じは、非常によく分かります。それは話術でも、その場の熱狂的な雰囲気でもなく、根源的な真理に触れられたという喜びでしょう。

私が大川隆法・幸福の科学総裁に出会ったのは、二十歳の時でした。著作を読み、説法に触れると、遥か昔に離れ離れになった親子が、ようやく巡り会い、感激のあまりその胸に飛び込んで泣きじゃくるような感激がありました。

こうした信仰の体験が、私の政治活動の原点にあります。

神仏に与えられた世界

私が特に感銘を受けた教えの一つが、仏教において「真空妙有」と呼ばれている概念でした。

仏教では「この世は仮の世である」とされています。どんな人間でも、必ずあの世に還ります。日本でも世界でも変わらないものは何一つなく、諸行無常の風に吹かれ続けます。そう見れば、ある意味、政治ほど「虚しい」ものもありません。

しかし、執着を去って一切を「空」と見るその目に、見えてくるものもあるのです。

全ては移ろい行くものではありながら、私たち自身も、山川草木も、厳然として存在しています。その奥には、万象万物、一切の生命を在らしめる神仏の意志、根源的なエネルギーがあることを知るのです。

この世は、魂修行の場として神仏より与えられていると、私たちは考えています。

その中で、愛に生き、智慧を磨き、過ちを反省しながらも、それでも立ち上がって何かを学び、社会を前進させることで、魂を成長させます。その成長の過程で、人間は心の深いところから、真の幸福を感じるのです。

2017年の衆院選における幸福実現党の街頭演説。

「魂の幸福」という政治観

こうした世界観が根底にあるからこそ、私たちは自由で民主主義的な社会や、魂を躍動させる舞台としての経済繁栄を目指しています。

そして、人間の善性や可能性を封じ込める唯物論・共産主義国家の拡張に対しては、悪を押し止めるべく、強く国防を訴えているのです。

「幸福実現」とは、もちろん「人々の衣食住を確保する」という物質的な側面を願いつつも、魂としての幸福を感じる社会の実現をも意味しています。

それが、私たちが「宗教政党」としての活動を、止めることはできない理由です。

大川総裁は、この幸福実現党の立党に際し、「この国に生まれ、この時代に生まれてよかったと、人々が心の底から喜べるような世界を創りたい」と万感の思いを込められました。

この使命を胸に、今年も、透明な愛の風となって吹きわたって参りたいと思います。