早稲田大学の大隈講堂に向かって立つ大隈重信像(画像はWikipediaより)。

NHK連続テレビ小説「あさが来た」が好調です。第9週の週間平均視聴率が23.8%で、9週連続の大台を突破したことを30日付の各紙が報じています。

番組主人公のモデルである広岡浅子は、大同生命保険や日本女子大学の創設に貢献した人物で、「明治の女傑」と称されています。視聴者からは「こんな女性がいたのか」という驚きの声が上がっているようですが、実は、日本女子大学は開学にあたって、多くの政財界の支援も受けていました。

特に本欄で注目したいのは、同大学の創立委員長でもあった大隈重信。大隈は明治・大正時代の偉人として知られています。しかし、名前は知ってはいても、早稲田大学をつくったということぐらいしか思い浮かばない人も多いはず。今回は、大隈の人生にスポットを当ててみます。

(1)「円」をつくった

極東の弱小国から列強国入りを果たした日本の基盤は、明治政府が、廃藩置県や地租改正、殖産興業などの政策を矢継ぎ早に打ったことによって整備されました。