国が滅ぶ理由 内モンゴル、ウイグル、チベットからの警告【前編】
2022.01.03
長い歴史を有する日本では想像もつかないが、世界では国が滅ぶという現実がある。国家はいかなる理由で危機に陥り、滅びていくのか。中国の侵略によって国家としての地位を失い、自治区にされた内モンゴル、ウイグル、チベットの人々に話を聞いた(2011年3月号記事より再掲。内容や肩書きなどは当時のもの)。
◆ ◆ ◆
理由(1)
政治的、軍事的な「力」が足りなかった
モンゴル自由連盟党 幹事長
オルホノド・ダイチン
1966年内モンゴル自治区アル・ホルチン旗生まれ。89年内モンゴル師範大学卒業。2000年に来日。08年大阪大学大学院博士後期課程修了。06年モンゴル自由連盟党を結成し、現職。機関誌「自由モンゴル」の編集長も務める。
【地域データ】
内モンゴル自治区(南モンゴル)
- 自治区への編入時期:1947年
- 人口: 2384万人(漢族79%、モンゴル族17%、満州族等4%)
かつて清朝の支配下にあった内モンゴルですが、辛亥革命が起きた1911年、外モンゴル(現在のモンゴル国)とともに統一モンゴル国の独立を宣言しました。
しかし、清朝を倒した中華民国は統一を認めず、戦争が起きました。そして15年に、ロシアと中華民国の間で、外モンゴルのみの自治を認める決定がなされ、それ以降、内・外モンゴルは異なる道を歩みます。
その後、内モンゴルは45年のヤルタ協定で、中華民国の一部とされ、国共内戦が続く47年に中国共産党によって「内モンゴル自治区」に組み込まれました。
この過程で、多くの国際会議や国同士の話し合いが行われましたが、内モンゴルの代表が独立を主張したり、他国が利益を代弁する場面はありませんでした。大国の利害に翻弄され続けた内モンゴルは、国際政治の舞台で政治的、軍事的な「力」が足りなかったのです。
恐怖で声も上げられない
自治区を設置した中国共産党は当初、「モンゴル人の自治を守る」「お互い平和に暮らそう」と甘い言葉を使って内モンゴルに軍隊を送り込みました。
ところが、60年代の文化大革命時の「内モンゴル人民革命党粛清事件」では、自治を求めるモンゴル人が「民族分裂主義者」として大量に虐殺されました。
この事件では、中国政府が発表した控え目な数字でも逮捕者は35万人、拷問で身体的な障害が残った人は12万人。死亡者は3万人近くですが、5万人や10万人という説もあります。
当時、自治区内にいたモンゴル人は150万人弱なので、平均して1世帯から1人の逮捕者が出た計算です。現在も内モンゴルの町には、顔や腕、足などに障害を持った人がたくさんいて、事件の傷跡は癒えていません。
日本の皆さんは、内モンゴルでデモや反政府運動が起きたニュースを聞かないと思いますが、徹底的に弾圧されたモンゴルの人々は恐怖心が強く残り、声を上げる気力もないのです。
2人の漢族が5万人に増
侵略以来、内モンゴルにはたくさんの漢族、つまり中国人が移住しています。シリンゴルのスニト右旗という地域には、47年の時点で2人しかいなかった中国人が、現在は5万人もいます。「農業技術指導」「辺境を援助する」などの理由で入ってきますが、そうやって人口を増やして侵略を進めるのが彼らのやり方です。
内モンゴルは中国で最も経済発展している地域で、GDP成長率は8年連続1位、09年のGDPも前年比で17%伸びました。豊富な地下資源のおかげですが、中国のレアアースの9割が内モンゴルで採れます。でも、その利益はすべて中国人が得るのです。
放牧などで暮らしていたモンゴル人は、資源採掘のために、土地から追い出され、町に強制移住させられています。移住先で生計が立てられないため、移住を拒否する人もいますが、そういう人のところには、夜、一般人を装った警察官がやって来て、暴行を加えるのです。
「次は、日本だ」
中国にも「民族自治法」があって、法律上はモンゴル人にもあらゆる自由が保障されています。でも、それはただ法律に書いてあるだけで、現実にはすべての自由が奪われています。
最近は、公務員や会社員の募集でモンゴル人は採用しないところが多い。日本にいる留学生は、ウイグル人の500人、チベット人の100人に比べ、モンゴル人は1万人と飛び抜けているのもそのせいです。みんなアルバイトをして生計を立てていますが、本質は「留学難民」です。
現在、私も日本で働きながら、中国政府への抗議活動を続けていますが、日本人は中国に対する危機感が非常に薄い。昨年9月、尖閣諸島沖の事件が起きたとき、私は「内モンゴル、ウイグル、チベットの次は、日本だ」と感じ、仲間と共に街頭に立って、中国の脅威を訴えるビラを撒きました。
日本人はあまりに平和で、幸せ過ぎて、中国が他国を侵略するという現実を理解できないのでしょう。経験してからでは遅い。独立国家として、国益を主張したり、国防を強化しなければ、本当に国が滅びます。
理由(2)
国際情勢の知識が不足していた
世界ウイグル会議日本全権代表
イリハム・マハムティ
1969年東トルキスタンのクムル生まれ。新疆大学予備学部入学。91年西北師範大学を中退。2001年に留学のため来日し、現職。日本ウイグル協会会長も務める。著書に『7.5ウイグル虐殺の真実』(宝島社新書)がある。
【地域データ】
新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)
- 自治区への編入時期:1955年
- 人口: 1963万人(ウイグル族45%、漢族41%、カザフ族等14%)
ウイグル人は1933年に、「東トルキスタンイスラム共和国」の建国を宣言しました。
しかしその半年後、共和国が崩壊の危機に陥った時、中華民国がウイグル人の分断を画策します。共和国の大統領に、中華民国の支配下にある新疆省政府副主席の座を与える代わりに、利害がぶつかるトルコと関係を深めていた共和国の首相の身柄を引き渡させます。しかし、最終的に大統領自身も刑務所に入れられ、亡くなりました。
背景では大国の利害が複雑に絡み合っていましたが、大事な時期にウイグル人自身が団結できなかったことも事実です。
国の指導者7人が一度に消された
独立を求めるウイグル人はソ連の支援を受けて、44年に再び共和国を建国しますが、翌年のヤルタ会談の密約でソ連から中華民国に売り渡されました。
そして、49年に国共内戦を制した中国共産党が、「連邦制か、自治か、話し合おう」と融和的な姿勢を見せ、共和国の政治、軍事、宗教のトップ7人を北京の政治協商会議に招待します。
しかし、7人を乗せた飛行機はソ連の領空で消息を断ち、政府首脳を失った共和国は大混乱に陥り、どさくさにまぎれてなだれ込んできた共産党軍の支配下に置かれてしまいます。その飛行機はソ連が用意したもので、7人はモスクワの秘密刑務所で獄死したと言われています。
当時の共和国は、武器も物資もソ連からの支援で成り立っていましたが、目まぐるしい国際情勢の変化の中で、ソ連にとって中国が大事なパートナーになったため、結果的に共和国は見捨てられたのです。
ウイグルでは45年以降、中国によって独立運動のリーダーや宗教指導者、知識人などが、でたらめな理由で逮捕・処刑されたり、行方不明になり、全体で160万人以上が殺されたと言われます。さらに、自治区内に建てられた核施設では、これまでに46回の核実験が行われ、ウイグル人19万人が亡くなり、今でも129万人が健康被害で苦しんでいます。
中国の嘘を信じオオカミを招き入れた
侵略された当時の人々を批判できませんが、ウイグル人側の反省として挙げられるのは、「国際情勢に対する知識が不足していた」という点です。
その頃のウイグル人の多くが、第一次、第二次世界大戦について知らなかったと思います。大陸の真ん中に住み、情報の伝達手段と言えば、馬に乗って人から人へと口コミ。一部の知識人以外、列強諸国が自国の利益のために他国を侵略したり、されたりしている現実を知りませんでした。
たとえば、中国共産党がウイグルに入ってくるとき、彼らは「国民党からウイグル人を守る」と言って軍隊を駐留させ続けました。ウイグル人はその言葉を信じて、共産党軍に食べ物を与え、家に泊めてあげた。でも結果的に、自分の家にオオカミを招き入れてしまったのです。
外国と対等に渡り合える人材を育てるべき
今、日本人は商売上の理由で、中国を重視していますが、利益のために自分の尊厳や人格、文化を売ってはいけません。「生活が満たされればいい」という考えでは、いつか必ず奴隷にされます。中国が、日本そしてアジアを支配しようとしている現実をもっと見つめるべきです。
今日本に必要なのは、「国を愛する教育」だと思います。愛国教育は罪じゃない。アメリカだってヨーロッパだって、世界中のどの国でもやっています。なぜ日本はやらないのか。自分の国を愛する人がいるからこそ、その国が強くなるし、他国とも対等な関係が築けます。
現在ウイグルの教育現場では、ウイグル人同士さえもウイグル語で話すことを禁じられています。自分の国の言葉を話す自由を奪われた国民に、他に何の自由があると思いますか?
中国人がウイグル人を残酷に殺すことができるのも、やはり教育の影響です。共産党は「ウイグル人に近づくと殺される」とか「ウイグル人はみんなテロリストだ」と教えているんです。
人は教育によってつくられるのですから、日本は自国の悪い面ばかり教えるのでなく、もっと素晴らしい面を教えて、外国と対等に渡り合える人材を育てるべきです。
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