2014年11月号記事
法話抜粋レポート
「人間学」応用編
モーセ、イエス、釈尊の悟りを比較分析
「人間学の根本問題──『悟り』を比較分析する」
8月27日 幸福の科学教祖殿大悟館
「人間学概論」講義では、肉体に宿る魂の研究なくして、人間学はスタートしないことを示した大川総裁は、次に、一般人が理想とすべき神近き人間についての探究と考察を説いた。
神近き人の2つのパターン
スイスの哲学者カール・ヒルティは『幸福論』の中で、幸福とは「神のそば近くにあること」だと定義している。大川総裁は、歴史上、「神そのもの」あるいは「神のそば近くにあるもの」とは、宗教家であったと指摘。その中にも、「神の側から指名されて現れてくる人」と「修行して悟りを開いた人」の2つのパターンがあるとし、モーセやイエス、釈尊について、その修行過程や悟りを比較分析した。
大川総裁はまず、旧約の預言者やモーセ、イエスは「神に選ばれた人」という側面が強いことを示唆。30歳以前のイエスがどのような修行をなし、「復活の思想」などに触れていたかについて、『聖書』の記述やイエスの思想、奇跡譚、時代背景などから分析して見せた。
続けて、仏教の開祖である釈尊について解説。「三明」と言われる悟りや、神通力、仏典に遺っている「神々との対話」などから、釈尊は「修行して悟りを開いた」パターンであると結論付けた。
大川総裁は、 「このあたりは、『キリストと釈尊との違い』であり、『古代の預言者群と釈尊との違い』でもある」 と述べ、「仏教には神がいない」と捉えがちな西洋社会の見方に対して、仏陀の上なる存在はないという解釈のほうが正当であるとした。
宗教対立が高まる今、悟りの比較分析を踏まえた地球的な宗教が必要であることを強調し、 「『神、仏、究極の悟りとは何か』というところまで考えが及ばなければ、『人間学の根本問題』は探究できない」 と断言。
今後、各宗教の学問的な比較分析が進むことで、宗教融和への道が拓けていくだろう。
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