超辛口の言論で左翼文化人や官僚をなで斬りにした谷沢永一氏が亡くなって、今年で3年が経つ。

博覧強記の教養に加え、元日本共産党員としての経験から、共産主義・社会主義者たちの"手口"を白日の下にさらした谷沢氏。ソ連崩壊後も左翼勢力の勢いは衰えるどころか、共産中国の台頭によって「夢を再び」と考える人たちが増殖しているようだ。

四書五経など中国古典にも通じた「現代の孟子」とも言える谷沢氏のスピリットを、今こそ復活させなければならない。

生前、谷沢氏の薫陶を受けた書評家・評論家の小笠原茂氏が、縦横無尽の谷沢永一論をつづった。

谷沢永一(たにざわ・えいいち)

近代日本文学研究の第一人者。元関西大学文学部教授。文芸評論家、書誌学者。1929年大阪生まれ。著書に『人間通』『悪魔の思想――「進歩的文化人」という名の国賊12人』『司馬遼太郎の贈り物』などがある。2011年3月逝去。

小笠原茂(おがさわら・しげる)

書評家・評論家。1945年仙台市生まれ。書評、評論を中心に執筆活動を続ける。著書に『好きでこそ読書』『中国人とは何者か』がある。

誰もが書こうとしない論文は官僚批判である。新聞記者もテレビ記者も本気で官僚を批判しようとしない。いやできないのである。彼らが国民の前に提示する報道そのものが自分で調べたものではなく、霞ヶ関の官僚から仕入れた、いわば受け売りなのである。

だから、もし彼らが本気で官僚を批判すれば、官僚たちから総スカンをくらい、報道すべき材料の仕入れ先がなくなる。その何よりの証拠が記者クラブの存在である。役所がニュースソースを提供するとき、各社が一斉に集まり、あたかも鶏のように役所の撒くエサに食いついている。

谷沢永一の見るところ、現代のわが国には、ひとり立ちして、自分の甲斐性でニュースの取材を行っている昂然たる記者はいないのである。

ならば「千万人と雖も吾れ往かん」と孟子さながらに、谷沢永一は単身、官僚の総本山大蔵省に斬り込む。相手は前銀行局長、土田正顕、である。総合雑誌『VOICE』6月号(1994年)の欄に「土田正顕」と名指しのタイトルで批判している。