Interview
長谷川慶太郎氏に聞く
大河ドラマの主人公 黒田官兵衛の本心
Web限定 インタビュー全編 (後編)
旧ソ連の崩壊やイラク戦争の開戦時期の予想を的中させるなど、国際エコノミストとして活躍する長谷川慶太郎氏。幸福の科学の霊査では、長谷川氏の過去世は、今年の大河ドラマの主人公・黒田官兵衛(1546~1604年)であることが明らかになっている。本誌編集長が、長谷川氏に官兵衛の“本心"について聞き、長谷川氏は、自身は唯物論の立場と断りつつも、官兵衛の実像をありありと語った。本誌には掲載しきれなかったインタビュー全編を公開。今回はその後編。
長谷川 慶太郎
(はせがわ・けいたろう)
1927年京都生まれ。53年大阪大学工学部卒。新聞記者、証券アナリストを経て63年独立。83年に『世界が日本を見倣う日』で第3回石橋湛山賞受賞。著書は『2014年長谷川慶太郎の大局を読む』(李白社)、『長谷川慶太郎 アジアの行方』(実業之日本社)など多数。
軍師・黒田官兵衛の霊言
「歴史の真相」と「日本再生、逆転の秘術」
大川隆法著
幸福の科学出版
官兵衛は天下を狙っていた?
本誌編集長(以下、編) これはよく疑問として呈されていますが、関ヶ原の戦いも含めて、官兵衛が天下を狙っていたのかどうか。
長谷川(以下、長) それはない。
編 あ、そうですか?
長 ない。もし、そう思っていた人がいたとすれば……。それはいたよ、徳川の時代にはいた。毎回、必ずマークされていた大名は、仙台の伊達と、加賀の前田、熊本の細川、そして福岡の黒田です。この4つの大名は、絶対に目を離さなかった。
編 官兵衛の息子の代ですね。
長 そう。ずっとマークされている。
編 黒田官兵衛自体はそうではなかった?
長 黒田官兵衛自体はそういうことは考えていない。またそういう兆候はありません!
編 ただ、一般的には、関ヶ原の戦いのときに九州で挙兵して、あわよくば。
長 いや、家康の書状一本ですぐ軍事行動をやめている。書状一本ですよ。なかなかそんな決断できないですよ、勝っている戦ですからね。
編 エピソードとして伝わっているのは、官兵衛の息子の長政が、関ヶ原の戦いの後、徳川家康に会った時に、感謝していると言われて握手をした、と。それを九州に帰って、父である官兵衛に話した時に、「おまえの左手は何をしていたんだ」、つまり、なぜ刺さなかったんだと言われたという話があります。
長 そんなことはない! そんな愚かなことはしませんよ。もういっぺん天下大乱になるじゃないか! せっかく乱が収まって、ようやく平和を取り戻しているのに、なぜもういっぺん大乱を起こす? そんなことをするわけがない。
編 徳川家康で太平だ、と。
長 そういうことですよ。
編 一般的な歴史上は、かなり最後まで野心を持っていたんじゃないかと言われていますが。
長 言われていますけどね、そんなことはありえない。そんな野心の持ち主なら、朝鮮征伐のときに秀吉に歯向かうよ。
編 確かに、野心を持っているなら、あそこで秀吉を倒さなければいけないという話になりますね。その時点で、家康の天下を考え始めていた?
長 そうです。もう当然です。
編 毛利を寝返らせるところも、黒田官兵衛が絡んでいたという話なので、最終的には徳川体制に協力した、と。
長 というよりもそれが必要だと思った。ただ従うだけではなくて、必要だと思うから一生懸命サポートしたんですね。
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