マスメディアから時代の寵児としてもてはやされ、ファシズムならぬ「ハシズム」なる言葉さえ生まれるほど、政治のトップダウンを実行する大阪市の橋下徹市長が、日本国憲法第9条に関して興味深い発言をしている。

報道によれば、同氏は5日、こう述べた。

「平穏な生活を維持しようと思えば不断の努力が必要で、国民自身が相当な汗をかかないといけない。それを憲法9条はすっかり忘れさせる条文だ」

「9条がなかった時代には、皆が家族のため他人のために汗をかき、場合によっては命の危険があっても負担することをやっていた」

「平和を崩すことには絶対反対で、9条を変えて戦争ができるようになんて思ってない。9条の価値観が良いか悪いかを、国民の皆さんに判断してほしい」

憲法9条の条文は、戦後日本人の多くに「戦争さえ放棄すれば、無条件で平和が手に入る」と幻想を抱かせ、「自分の国は自分で守る」という独立国家の基本を忘れさせた。北朝鮮の核開発や中国の国防費拡大が懸念される中、本来であればその改正が急務だが、一朝一夕に行かないことも事実である。伝えられる橋下氏の発言は、9条がいいのか悪いのか、どちらとも取れるように思える。

だが大川隆法総裁は2010年9月の法話『危機の十年を迎え撃て』で、憲法9条に関し、こう指摘している。「(憲法前文で)『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して』いる以上、"平和を愛さない国民"に取り囲まれていて、攻められる恐れがあるなら、そのあとの9条については、条文の解釈だけでも変えるべきです。少なくとも、『集団的自衛権を行使できる』というぐらいの解釈には踏み込むべきでしょう」。

橋下市長には、こうした現実的な憲法解釈の智慧があることも知っていただきたい。(富)

【関連記事】

2012年2月12日付本欄 大阪維新の会の公約は、なぜ幸福実現党に似る?

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=3811