南スーダンが 独立宣言 アフリカ54番目の新国家 (ジュバ,南スーダン/2011/7/ 9)
2011年9月号記事
1月の住民投票で北部からの分離が決まっていた「南スーダン共和国」が7月9日、正式に独立を達成した。石油や多様な鉱産資源が豊富で、広大な耕作地をもつ南スーダンは、インフラ整備など適切な投資が行なわれれば、経済発展が見込める。
しかし、世界で最も新しい国には深刻な問題が立ちはだかる。乳児死亡率は世界最悪の水準で、人口の半分は1日1ドル以下での生活を余儀なくされている。成人女性の識字率は20%にも満たない。
南スーダンの苦境の原因は、イギリスによる植民地統治と、独立期から続いた内戦にある。宗主国イギリスは、北部を優遇して南部を虐げることで、植民地が団結して反乱を起こさないような政策を行った。この植民地統治の手法は、独立後、政府の実権を握るイスラム教徒主体の北部と、キリスト教や土着信仰を基礎とする南部との争いにつながる。
北部によるイスラム法の強制などが原因となった内戦は、1955年から2005年まで二回にわたって続き、200万人の犠牲者を出し、400万人が家を追われた。南部に6年間の自治を認め、その後に独立を問う住民投票を行うという05年の休戦協定の規定にしたがい、1月の投票で南部の独立は決まった。
長い内戦を戦ったゲリラ部隊を、どう市民社会に同化させるかが新国家の大きな問題である。米ワシントン・ポスト紙コラムニストのマイケル・ガーソン氏は7月12日の紙面で、「ゲリラ軍は、有力な統治階級に変身することができるだろうか。非軍人の人材や専門家に対し、戦士らは寛容だろうか、それとも憤るだろうか」と、国内統治の難しさを指摘している。
安全保障上の最大の問題は、北のスーダン共和国との関係である。スーダン経済は石油生産に依存してきたが、石油の埋蔵量は75%が南部に偏っている。南北国境は未確定で、北部側は5月にも石油の豊富な係争地アビエイを占領し、南部に圧力をかけており、軍事的な緊張が高まっている。
国連事務総長の潘基文氏は、7月7日付の米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)の中で、「乏しい経験と未熟な組織しかない新しい政府は、貧困や安全保障上の危険、インフラの不備という重い課題に取り組まなければならない」と述べた。国連は8千人規模の治安維持部隊を派遣することを決めている。
独立は達成されたが、南スーダンが国として独り立ちするためには、先進国の支援が欠かせない。中国は石油のために北スーダンへの関与を深めているが、日本を含めた他の先進国は、民生の向上につながる支援をしてゆくべきである。