18世紀を代表する作曲家のモーツァルト(1756~91年)。
5歳ごろには作曲を始め、「神童」と称えられ、没後200年以上経った現代でも、その旋律に世界中の人々が魅了される。
そのモーツァルトが、実は、秘密結社「フリーメイソン」の会員であり、メイソンに流れる「ヘルメス思想」や、真の「自由・平等・博愛」の精神に共鳴していたことを、本誌2025年10月号「フリーメイソンとモーツァルト ─ 近代前夜に「至高の存在」を讃えた人々」で紹介した。
本欄では、本誌では紹介しきれなかった、モーツァルトが確信していた「目に見えないもの」や、所属するフリーメイソンに流れていた思想について焦点を当ててみたい。
モーツァルトは「永遠の生命の実在」を確信していた
モーツァルトの人物像については、映画「アマデウス」(1984年)のように、ユーモアあふれる一面が強調されることもあるが、実際は、極めて「信仰深い」人物だった点を強調しておきたい。
例えば、とある2人の音楽家との旅行を計画していた時、モーツァルトは「信仰心を持たない友人は信頼できませんから」といって旅行を取りやめたこともあったという(P・カヴァノー著『大作曲家の信仰と音楽』教文社。以下、本節のモーツァルト発言の出典は同じ)。
また、フリーメイソンの会員であったモーツァルトは死を恐れず、永遠の生命の実在を確信していた。実際に、「生命は神だけに帰されている」ので、「いかなる医者も、人間も(中略)人に生命を与え、取り去ることはできない」と述べている。
母の病が危険な段階にさしかかった時のことを、このように語っていた。「私は神に二つのことだけを祈りました。母が幸せな中で死を迎えられることと、私自身にそれを堪える力と勇気が与えられることを。神は愛のこもった優しさでその願いに耳を傾けてくださいました」。
死は、魂が別の世界に移動することにすぎないと考えていたので、重病の友が死にかけていた時、その親族に手紙を送り、神の愛が万人を見守っていることを伝え、来世についても希望を与えようとした。
「そんなに深く嘆くべきではありません。神のみ旨はいつも最善だからです。神はどちらが良いかご存知なのです。現世に留まるべきか、来世に旅立つべきかを」
生き長らえても、死んでも、我らは同じく神の愛の下に生かされている──。そう伝えたかったのだ。
「神童」と呼ばれ、その天才性を十二分に発揮したモーツァルトには華やかなイメージを持つ人も多いだろうが、日々、「この世の無常」について考え、神から与えられた恵みを深く感謝していた。31歳の頃の書簡では、友人に、こう語りかけている。























