《本記事のポイント》
- 中国民主化を目指した「北京大学教師後援団」
- 唯物論思想による思想的束縛を打破しなければ自由化は困難
- トランプ政権の誕生は中国民主化のまたとない機会になる
中国の北京大学元教授で、中国民主化を目指して活動する「中国亡命知識人」の袁紅冰(えん・こうひょう)氏が東京・赤坂の幸福実現党本部を訪れ、中国民主化への戦いについて語った。
袁紅冰教授は1952年生まれ。北京大学で教鞭をとりながら中国共産党内部からの民主化を目指していた。1988年頃には習近平国家主席と直接交流しており、中国共産党内部にも多数の人脈を持つ。1989年の天安門事件前、民主化を求める学生を支援するために北京大学教師後援会を結成するも、北京大学から追放され、2004年にオーストラリアへ亡命。その後も、中国共産党批判の著作、評論活動を行っており、日本では『暴かれた中国の極秘戦略』(まどか出版)を発刊している。
「『天安門事件』に必要だったこと」「トランプ政権の誕生と中国民主化運動」「若き日の習近平に見た、世界皇帝への片鱗」「中国共産党の今」などについて語ったインタビューの模様は、「幸福実現党言論チャンネル」にて公開されている。
今まで語られなかった天安門事件の舞台裏。習近平、李克強らと交流があった、元北京大学教授が激白。(ゲスト:元北京大学教授 袁紅氷氏)対談(1)【言論チャンネル】
本欄では、インタビューの一部を紹介する。
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自由な国をつくるには、まず人々の精神に革命を起こすこと
──天安門事件の前に、「北京大学教師後援団」をつくられ、民主化を支援されていたと伺いました。どのような活動をされていたのでしょうか。
袁紅冰教授(以下、袁): メンバーは主に北京大学の若い教師と博士課程の学生約20人からなるグループでした。我々の主な活動は中国共産党の最高指導部に入り込んで権力を強化し、その後、宮廷クーデターを起こして胡耀邦氏を権力の頂点に復帰させることでした。
胡耀邦氏の最も重要な功績は、10年間にわたって中国における思想の自由化を推進したことです。それは中国共産党の建党以来、かつて見られなかった自由な時代で、多くの自由民主主義の思想や新しいイデオロギーの潮流が中国に流入しました。私たちは主に思想の自由化を推進していた胡耀邦氏を中心とする啓蒙的な高官たち、自由主義知識人たちと深い交流を行ってきました。
──天安門事件後に、『荒原の風(原題: 荒原風)』という著作を発刊されました。この中で、マルクス・レーニン主義の唯物論を否定され、天安門事件の学生を追悼したとありますが、唯物論の何が問題だと考えていたか教えてください。
袁: 八九六四事件(天安門事件)の際、私たち北京大学教師後援団は、歴史のその重大な瞬間に、抵抗する国民を人民蜂起へと導き、中国共産党の暴政を完全に打倒しようと懸命に努力しました。しかし、当時の中国共産党体制内の知識人集団は、体制の枠内で改革主義的に、天安門事件の全過程を支配していました。だから、私たちは成功できなかったのです。
このような背景から、私は文学哲学作品である『荒原の風』を書きました。中国共産党の文化は、中国国民を思想的奴隷として訓練するために使われています。その文化の核心となる哲学は「弁証法的唯物論」(*)と呼ばれています。この作品は、中国共産党の唯物論を全面的に否定しました。つまり、中国共産党文化の哲学的根拠を否定したのです。中国共産党は直ちに私の本を発禁にしました。本の出版に協力してくれた編集者や出版社の一部も、厳しい処罰を受けました。
(*)毛沢東が『実践論』『矛盾論』などさまざまな著作で解説している。
天安門事件後、多くの学生が私の本を精神的な導きとして読んでいました。血なまぐさい鎮圧の後、学生たちは精神的な慰めと希望を求めてこの本を読んでいたのです。そして私は、大学を停職処分になりました。
私の基本的な考えは、「中国共産党の文化を完全に否定すること」です。76年前に中国共産党の専制政治が権力を握って以来、中国は東アジアで、一種の文化的大量虐殺を行ってきた。共産主義文化を利用して、東アジアの他の民族の文化を破壊してきたのです。
最初に破壊されたのは、中国の文化的魂でした。モンゴル文化など、他の文化は基本的に破壊されてしまいました。今では、チベット文化も破壊されつつあります。中国共産党の暴政を打ち破り、東アジアを自由な国に変えたいのであれば、まず人々の精神に革命を起こすこと。つまり東アジアの各民族にかけられた「党文化の思想的束縛」を完全に打ち破る必要があります。
これは、私の個人的な経験とも直接関係があります。1968年、私が内モンゴルで10代の頃、中国共産党によるモンゴル人に対する大量虐殺を自分の目で目撃しました。私が一緒に育った多くのモンゴル人の少年少女とその家族が、この迫害の中で、大量虐殺の苦しみを味わいました。






















