「眠狂四郎」「ニューヨーク恋物語」「古畑任三郎」など、時代劇からコメディまで幅広い役柄を演じて活躍した田村正和(1943~2021年)。

本誌10月号「男は男らしく、女は女らしく。──田村正和と竹内結子」では、田村の魂が、「日本の男の美学を復活させる」という目的のために生まれ、そのミッションは、日本神道や武士道の源流である、天御祖神(あめのみおやがみ)から出ていると語っていたことを紹介した(【関連書籍】『田村正和の霊言』)。

本欄のアナザーストーリーでは、異なる角度から田村の「男の美学」について探ってみたい。

「オヤジよ見ててくれ」と演じた大石内蔵助

生前、田村は私生活や身内の話をほとんどせず、記者会見でも「私生活の質問は絶対にNG」という姿勢を崩さなかった。だが晩年、ぽろりと亡き父への想いを明かしたことがある。

田村の父・阪東妻三郎(ばんどう・つまさぶろう)は時代劇の名優であり、同時代に市川右太衛門(いちかわ・うたえもん)という俳優がいた。田村は9歳の時に父を亡くしたが、右太衛門の息子・北大路欣也(きたおおじ・きんや)と初共演した時の想い出を記者がたずねた時、田村は次のように語った。

「彼の方がお父上との時間をたっぷり過ごせた。僕に比べて数倍、一緒に過ごせたから、うらやましい気持ちもある。僕のオヤジも、せめて大学を出てこの世界に入って、ある程度頑張っているところまで生きててくれたら喜んでくれただろうと思う」

また、父が演じた「忠臣蔵」の大石内蔵助役を、自分も演じたことについて、「オヤジよ見ててくれ、という感じですかね」と語っていた。(「私生活の質問は絶対NG」だったが…記者に語ってくれた『オヤジ』への思い【田村正和さんを悼む】2021年5月19日付 中日スポーツ電子版)

「眠狂四郎」を機に、父とは異なる輝きを放ち始める

映画俳優としてデビューした田村だったが、当初、個性を十分に発揮できなかった。激しい立ち回りで知られる父と比べられ、スタッフから「声が小さくて聞こえない。それでも阪妻(ばんつま)の息子か」と叱られることもあったという。

事務所に主演作を用意してもらっても、観客に感動を与えることができない。同じ俳優の道に入った長兄・田村高廣や弟・田村亮がもてはやされ、焦りに駆られる日々のなか、田村は父の偉大さを知る。そして、父との個性の違いを知り、異なる道を進んでゆく。

活動の場をテレビに移し、ドラマ時代劇で演じた盲目の浪人剣士の役が、剣豪小説『眠狂四郎』の原作者・柴田錬三郎の眼に止まる。それがきっかけで柴田に推され、テレビドラマ「眠狂四郎」の主演を務めることになる。

田村はそこで時代劇の新しいヒーロー像を作り上げる。静かなる一撃必殺の「円月殺法」で敵を斬り、華々しい殺陣で人気を博した父とは異なる輝きを放ち始める。そして、「眠狂四郎」が終わった後、柴田に「そろそろ何かを始めたらどうかね」と言われ、新たな可能性を模索してゆく。

1980年代、「うちの子にかぎって…」ではダンディで茶目っ気のある教師を演じ、「パパはニュースキャスター」では不器用な父親役を演じた。シリアスな時代劇でヒーローを演じた俳優が、喜劇役者としても視聴者の心をつかんだ。

それは、90年代の「古畑任三郎」シリーズの成功にもつながってゆく。

脚本家・演出家の三谷幸喜は当時、田村がカメラ目線でしゃべりながら歩いて電話ボックスにぶつかるテレビCMを見て、「この人は、もっと面白いことがいろいろできる人だ」と直感し、その可能性を生かすために「古畑任三郎」という役柄を生み出した(『宝石』1996年10月号)。