アメリカ輸出仕様のホンダ「スーパーカブCA100」(写真)は、1963年、米高級グラフ雑誌の「タイム」「ライフ」等に広告を展開。その人気はアメリカの社会現象となっていった(画像:Ned Snowman / Shutterstock.com)。
2024年10月号記事
迫りくるAIの支配に打ち克つ
想像を超えるAIの進化を、甘く見てはならない。
しかし同時に、人間の持つ"潜在能力"の偉大さにも、気がつかなくてはならない。
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迫りくるAIの支配に打ち克つ - Part 2 この決断、AIにはできない
この決断、AIにはできない
歴史に残る経営者の「決断」。
その最後の瞬間に臨んだのは、磨き抜かれた「カン」だった。
ホンダ・藤沢武夫
世界で売るなら「アメリカへ行け」
世界進出を目指していたホンダは1950年代、まずバイクの販売で、どの国に売り込むかという問題に直面した。
綿密な情報収集による市場調査の結果、出てきた答えは、「アメリカは車社会で、バイクは年に約六万台しか売れていないので見込みがない」ということ、そして狙うなら、「年間三百万台売れているヨーロッパ」「市場が拡大している東南アジア」というものだった。
しかし、この"合理的"な報告結果を覆して、経営担当の藤沢武夫は「アメリカへ行け」と命じた。「アメリカで駄目な商品は、世界で売れない」。藤沢には分析を超えた直観と信念があった。
予想されていた通り、当初、バイクの販売は難航した。しかし試行錯誤をするなかで、思わぬ展開となる。現地の人々が、ホンダ社員が乗っていた営業用の小型のスーパーカブの方を「売ってほしい」と言い始めたのだ。
意外なことに、アメリカ人は小型のカブを車に乗せ、釣りや狩猟、キャンプに出かけた。そして現地で降ろし、小回りの利く足として使った。
また、学生の人気を集めるなど今までなかった需要が生まれ、バイクのイメージそのものが「革ジャンの暴れ者が乗るもの」から、「老若男女の誰もが乗るもの」へと変化した。そしてこの大ヒットは、大型バイク販売への道も開いた。
後に米ボストン・コンサルティング社が「ホンダは小型バイクで参入し、その後、大型バイクに参入するという明確な戦略があった」と後付けの分析をした。実際は"直観"と"手探り"の勝利だったのだ。
協力:ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ 経営成功学部プロフェッサー 原田尚彦
※文中や注の特に断りのない『 』は、いずれも大川隆法著、幸福の科学出版刊。
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