2021年6月号記事

幸福の科学学園 那須本校野球部

棚橋誠一郎監督インタビュー

ユニフォームを着たサムライたれ!

作新学院時代には"怪物"と呼ばれ、読売ジャイアンツで投手として活躍した
江川卓氏から、烏山高校時代に4本のヒットを放った棚橋誠一郎さん。
野球にかけた半生と、幸福の科学学園那須本校野球部の監督としての現在、
そして未来への展望を聞いた。

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幸福の科学学園那須本校 野球部監督

棚橋 誠一郎

(たなはし・せいいちろう)1956年、栃木県那須烏山市生まれ。栃木県立烏山高校、明治大学商学部卒業。烏山高校野球部時代、秋季県大会準優勝。明治大学野球部では3年次に主務(マネージャー)に転向。日米学生野球選手権大会、全日本、日米大学野球チームのマネージャーを務める。83年から95年まで母校・烏山高校野球部監督。97年から2010年まで作新大学野球部監督。とちぎテレビで高校野球の解説を担当。那須烏山市観光協会長、那須烏山市商工会副会長。19年より現職。

「とにかく、甲子園で校歌を歌う。これが最大の目標です」

棚橋さんは自信にあふれた目でこう話す。幸福の科学学園那須本校野球部の監督に就任して1年半。昨年は夏の交流試合と秋季大会でそれぞれ勝利するなど、着実に成果を挙げている。

かつて棚橋さんは、江川卓氏と対決した高校球児だった──。

◆ ◆ ◆

棚橋さんは中3の春、栃木県の有力選手を集めた強化合宿で江川氏に出会う。「ピッチングに衝撃を受けました。『絶対にこいつを打ちたい』と」。翌春、棚橋さんは県立烏山高校へ、江川氏は作新学院に進学した。

1年生にしてスタメンを勝ち取り、5月の練習試合で江川氏と初対決。1本のヒットを放った。しかし夏の県予選では、完全試合で敗北。江川氏の全力投球に、手も足も出なかった。江川氏を打ち、甲子園を目指そうと決意した秋、チームメイトが無免許でバイク事故を起こし、半年間、練習すら禁止されてしまう。

仲間が落胆する中、棚橋さんは江川氏の研究に入った。「試合にはほぼ行き、投球フォームを研究したんです。やがてストレートとそれ以外で、クセに違いがあることを突き止めました」。

研究が実を結び、2年生5月の練習試合ではセンター前にポテンヒット。俊足の棚橋さんは盗塁も決めた。0対1で敗れたが、実りある試合だった。しかし8月の練習試合では、棚橋さんは何とかヒットを打ったものの、チームは0対15で大敗する。

そして10月、秋季大会の決勝戦。主将となった棚橋さんは2打席目、渾身の二塁打を放つ。「マウンドを降りる江川から『ナイスバッティング』と褒められたんです」。3打席目は鍛え抜いた選球眼でフォアボールで出塁、盗塁も決めた。結果は0対7。これが棚橋さんと江川氏の最後の対決になった。

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Coach's VOICE

安田永一監督代行 兼 ヘッドコーチ

優秀な指導陣が力を引き出す

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信仰心篤い、学園野球部員の精神力は、甲子園優勝校以上のレベルだと私は確信しています。あとは練習しかありません。

日々の練習は、甲子園という目標から逆算し、計画しての実践を続けています。優秀な指導陣を集め、親御さんに安心してお子さんを預けていただくことが勝利への道の一つと考え、準備を進めています。同じ高校生ができていることが、学園野球部の選手たちにできないわけがありません。徹底的な練習が大きな成果を生みます。

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ノックを行う安田ヘッドコーチ。