2021年1月号記事
Divine Economics
サプライサイド経済学の父 ラッファー博士
限りなくフラット化に近づいた
レーガンの大型減税
Part 06
レーガン大統領の大型減税法案を成立に導いたラッファー博士に、
大型減税の成立したいきさつや、その重要性について語ってもらった。
(聞き手 長華子)
トランプ大統領の経済顧問
アーサー・B.ラッファー
プロフィール
1940年生まれ。イエール大学を卒業後、スタンフォード大学で博士号を取得。経済調査とコンサルティングのラッファー・アソシエーション会長。サプライサイド経済学の父。レーガノミクス、トランポノミクスを導いた。大統領選挙中よりトランプ氏の経済政策顧問を務める。著書に『増税が国を滅ぼす』(日経BP社)、『トランポノミクス』(幸福の科学出版)などがある。
──1981年1月に就任したレーガン大統領は、同年8月に減税法を成立させました。
ラッファー氏(以下、ラ): この法案作成に、私も携わりました。60年代のケネディ大統領の減税を手本にし、最終的に全体で30%の減税になる法案にしました。私の親友のジャック・ケンプ下院議員とウィリアム・ロス上院議員の名前をとって、「ケンプ・ロス法案」と呼ばれています。
「ケンプ・ロス減税法案」
起草に携わる
当時も、増税により歳出を増やしたい派と減税派とに分かれていました。そこでケンプを説得するために、私はこう持ち掛けたのです。彼のミドルネームはフレンチ(F)だったので、「あなたが減税法案を成立させたら、そのイニシャルは『JFK二世』としてアメリカ史に刻まれることになります」。
彼は、自分をJFKと同一視するビジョンをとても気に入ってくれたので、大型減税法案は成立に向けて動き始めました。
ケンプには、学問的な研究や、過去減税政策が行われた時に何が起きたのかを示し、多くの時間をかけて法案を作成していきました。よい政策を正しく説得するには時間がかかるものです。
ただこの減税法は、「段階的に減税を行い、83年の1月に完全に減税する」という間違いを犯したため、企業は収益が生じないよう"努力"してしまった。以前にもお話をしたように、来週にバーゲンがあると分かっていたら、今週お店に立ち寄って買い物をしませんね。予想通り、81年と82年の景気は極端に落ち込み、失業率は最も高い時で10%にも上昇したのです。
83年1月に完全に減税法が施行されると、かつてないほどの高度成長が到来。83年1月から84年の6月までの1年半は、12%(年率で8%)の経済成長を遂げるに至りました。
大統領選で垣間見たレーガンの徳
画期的な1986年の減税
最高限界税率を下げると経済を牽引する