新型コロナウィルスの感染拡大により、生活スタイルや常識などが一変した。「行きたい場所に行けない」「テレワークを余儀なくされている」「会いたい人に会えない」など、自分の思うようにならない生活を強いられている人も多いだろう。
そうした中、大川隆法・幸福の科学総裁は7日、法話「自我我欲の何が問題なのか」を行い、コロナ禍により、つきまとう人間の欲の観点から、人生を見つめ直す機会が訪れている面があると指摘した。
「求めても得られない苦しみ」と「欲の調整」
今まで当たり前だったことが当たり前ではない。仏教で言えば、「四苦八苦」の一つである、求めても得られない苦しみを意味する「求不得苦(ぐふとくく)」の側面があるとして、大川総裁は次のように語った。
「 何かを得ようとしても、得られないことはある。将棋のタイトルも取った藤井七段なんかでも、小学校上がった時からやって、プロの棋士になるために修行やってたら、遊べなかったこととかですね。他のスポーツできなかったこととかいっぱい諦めたことがあると思います 」
「 特に宗教においては、結局、この欲の調整を誤って、地獄に堕ちる人が次々出てくるわけなので、これを教えることが大事なのです 」
一定の自己実現を収めた人へ
さらに大川総裁は、一定の自己実現を果たせた場合、どのように欲と向き合うべきかについても、アドバイスを贈る。
「 地獄へ行っている人はみんな、この自由を欲望に履き替えて、失敗している人が多いし、天上界に行っても、上に行く人ほど、自分自身のものが少なくなってくる。欲が少なくなって、利他の思いが強くなってくるんですよ 」
「 ある程度だんだん、自分が自己実現していったら、その分、ちょっとずつ他の人にですね、利他の思いの方に変えていかなきゃいけない。偉くなったら、そうならなきゃいけない 」
本来のエリートは、神仏の御心を忖度し、自らを省みず、多くの人のために尽くす「高貴なる義務(ノーブレスオブリージ)」を持っているのだという。
無神論者は大学教授になれなかった
高貴なる義務に目覚める人が少なくなった背景には、学問の中に、神仏の視点や宗教的な価値観を排除する傾向性が流れていることがある。それについて大川総裁は、18世紀に生きたイギリスの哲学者デビッド・ヒュームの例を引いた。
懐疑論者として知られるヒュームは、当時、「無神論者」と見なされ、エディンバラ大学などの教授職を得ることができなかった。無神論者は、何を信じているのか分からず、信用できないという理由だ。
しかし、この300年ほどの間に、学問の価値観が引っくり返ったために、善悪や道徳を教えられなくなり、高貴なる義務の精神を持った人材が出づらくなったように見受けられる。
最後に大川総裁は、自我我欲を律する「自制心」を持つことが、人生の成功につながると語り掛け、法話を締めくくった。
本霊言では他にも、以下の論点について言及があった。
- 自我我欲と正当な自己実現との違い
- 「五陰盛苦(ごおんじょうく)」の視点から、人生を振り返る
- 自由と責任の関係について(哲学者カント、毛沢東、習近平、ヒトラーの自由論など)
- 「地獄の釜茹でうどんの例え」「たらいの水の例え」「バケツのカニの例え」
- 自我我欲の問題は、人生の成否を決める道!?
ここに紹介したのは法話のごく一部です。
詳しくは幸福の科学の施設で、ぜひご覧ください(下記参照)。
・幸福の科学サービスセンター Tel:03-5793-1727
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【関連書籍】
『地獄に堕ちた場合の心得』
幸福の科学出版 大川隆法著
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