「民主主義」の実現を願い、「真珠公園」内でバーレーン国旗と草花を掲げるシーア派の女性
2011年5月号記事
バーレーン報告
Photo&text by Teru Iwasaki
"Live Fire,Live fire!!"
実弾だ! 実弾だ!
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2月18日夕、治安当局に背中を撃たれ死亡したアリ・ムシャイマ(21歳)の葬儀を終えたシーア派住民数千名が、軍に占拠されたバーレーンの首都マナーマのシンボル「真珠公園」へデモ行進した。参加者の1人は規制線の前でシャツを脱ぎ上半身の裸を見せ、非武装を強調した。その時、近くの高層ビルに待機する兵士が射撃を開始、再度の流血事態となった。
逃げ惑う反政府デモ参加者たち(シーア派)。心臓は熱くなり、息も切れ切れに走り続けた。負傷者を救急搬送した病院前には数千名のシーア派住民が殺到、バーレーンを200年以上統治する王室に対して 「Down Down King ! (王制打倒!)」 「Death to Khalifa ( 国王に死を!) の大声が公然と叫ばれた。その群衆の約半分ほどは、全身に黒衣をまとう女性たちだった。
"This is the price of Freedom!"
これは自由を獲得するための代償だ!
――故マフムード・アブタキの兄シャケールの言葉――
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2月17日早朝に治安当局に殺害されたマフムード・アブタキ(22歳)の葬儀が翌日午前8時、シトラ地区でも行われた。数千人のシーア派住民が埋め尽くす中、棺の前で兄弟たちは泣き崩れた。兄のシャケール(33歳)は言う。「私は嬉しい。弟は国のために生きたのだから。弟の命の価値は高いが、国の価値はもっと高い。我々は戦い続ける力を弟にもらった。さらに代償を払う覚悟はできている」-。激しい熱情が、現場を覆い尽くしている。
【クリックで拡大】 担架に乗せられた負傷者が救急救命病棟の入り口へと運ばれる。シーア派の群衆が拍手喝采で負傷者を迎えていた。
「タンタンタンタンッ!
タタタタタンッ!」 ─。
銃声音が突然、天を突いた。バーレーンの首都マナーマの郊外サルビス地区で、数日前に治安部隊に殺害された反政府デモ参加者(シーア派)の葬儀の取材を終えたところだった。
午後5時を回っていた。銃声音は、マナーマのシンボル「真珠公園」方面から聞こえてくる。すぐに車で接近できる所まで移動すると、後は徒歩で前進した。十字路があった。公園へと続く道の遠くを、不安そうに見つめる人たち。彼らを横目に見ながら、さらにその先へと向かう。
足が進む。勝手に進む。車の通行の止まった一本道を、ただ無言のまま歩き続けた。
「タタタタタタタッ!
タタタタタタタッ!」─。
銃声音が、さらに間近に聞こえてくる。ヘリは旋回し、周囲は異様な空気に包まれていた。その時だった。道向こうからなおも現場に居残るデモ参加者たちが蜘蛛の子を散らすように私の方に向かって飛び出してきた。
「実弾だ!実弾だ!こっちに向かってくるぞ!逃げろ!早く逃げろ!」─。
道路に無造作に停車されていた車に、一斉にライトが灯る。けたたましいエンジン音を鳴らしながら公園とは真逆の方向に暴走する。歩道を併走するデモ参加者が逆走する車の助手席や後部座席に、掃除機に吸い込まれるように飛び込んでいく。私も、その1人になった。負傷者を収容した複数の救急車が、泣き叫ぶようにサイレンを鳴らしながら病院へと雪崩れ込んでいく。負傷者51人、中には意識不明の重体者も含まれ、その夜、病院の医師は1人が死亡したと語った。レントゲンにはゴム弾だけでなく、実弾も映し出されていた。
不可逆的な振動
【クリックで拡大】 マナーマのシンボル「真珠公園」は再びシーア派住民によって占拠され、「政権打倒」が声高に叫ばれる。
中東が揺れている。北アフリカのチュニジアで始まった反政府デモ、民主化を求めるうねりはエジプトを経てバーレーン、イエメンへと飛び火した。リビアでは内戦状態に陥り、アメリカをはじめとする西側諸国はその対応に苦慮している。
バーレーンは人口約100万(半分が外国人)、国土は奄美大島ほどの島国だ。しかし陸路でサウジアラビアと繋がり、湾岸戦争(91年)では同国と共に米・英軍を受け入れ、イラク戦争(03年)ではクウェートと並び重要な戦略拠点となる。ペルシャ湾を隔てたイランを牽制する米第五艦隊の基地を擁し、歴代の米政権はハマド国王を頂点とするイスラム教スンニ派(3割)のアラブ人がシーア派住民(7割)を支配する構図を容認してきた。
02年には絶対君主制から立憲君主制へと移行し、直接選挙(下院40人)が実施されたものの、実権は国王が直接任命する諮問院(40人)が握り、長年の雇用差別、経済格差への不満から2級市民扱いを受けるシーア派住民の怒りが頂点に達した。
今回、デモ隊に銃口を向けた治安部隊の中に、帰化したパキスタン、ヨルダン、イエメンなどの外国出身者が多数含まれていたことが、シーア派住民の「被差別」意識をさらに悪化させる。イラン革命(79年)の余波を恐れた政権側が、シーア派住民の治安部隊への浸透を排除してきたためで、シーア派住民の同部隊における割合は現在でも5パーセントに満たない。しかもその外国人出身地は……すべてスンニ派地域だ。
イスラム教シーア派は宗祖が殺害された歴史を持つ。シーア派のデモ参加者が銃弾に倒れたことで、彼らの殉教意識にも火がついた。皇太子が反政府側代表との交渉役に任命されたものの、もはや安易な妥協を許さない空気が現場を強く支配している。
混沌化する未来
スンニ派住民はこの事態をどう見ているのだろうか。同国最大のアル・ファテフモスク(スンニ派)周辺で多くの人に声をかけた。不思議だが、反応は二つしかなかった。ひとつは「ノーコメント」。もうひとつは「この騒動にはイランが関与している」だった。
3月上旬、米クリントン国務長官は上院歳出委員会の公聴会で「イランが中東各国の政変に関与を強めている」と発言、バーレーンの反政府勢力への関与も言明した。2月にはイラン革命以来初となる、同海軍の軍艦2隻がエジプト政府の許可を得てスエズ運河を通行、緊張が走った。
反政府デモのシンボル、マナーマの「真珠公園」はデモ隊数千名が再占拠している。議会最大野党アル・ウェファク(抗議で全員辞任)のモハマド・ムザル元議員(49歳)は、政権側と対話に入るには各野党勢力内での調整に時間を要すると述べる。最後に、私は単刀直入に尋ねた。イスラエルとは今後どのような関係を築いていくのか、と。
「我々はどの国とも平和にやっていく。しかし、イスラエルは別だ。そもそもイスラエルという名で呼ばれる土地を知らない。存在するのはパレスチナのみだ」
背後からは、民主化を求める声とともに、「国王に死を!」「王制打倒!」の絶叫が聞こえる。元ウェファクのメンバーで英国から帰国した非公認野党「ハック」のハサン・ムシャイマ氏は政権との対話を否定、時折「殉教」の言葉も織り交ぜながら、非妥協の姿勢を強調する。
民主化のうねりの「光」の先に、衰退傾向を強めるアメリカと混沌化する未来という「影」が、重なって見えた。