写真:読売新聞/アフロ
2019年4月号記事
不定期連載
創業者物語「初めの10年」
第2回
パナソニック 松下幸之助
「経営の神様」の危機の乗り越え方
ほとんどの企業は、はじめの10年で潰れると言われる。
不況に見舞われ、事件に巻き込まれ、販売不振に苦しみ、資金繰りに悩む。
しかし、一部の経営者はそうした試練をくぐり抜け、商売を軌道に乗せていく。
第2回は「経営の神様」の事例に学ぶ。
会社を辞めて起業(22歳)
ソケットの改良を否定される
「ガツンと脳天をやられた」
松下幸之助はショックを受けた。大阪電灯という会社で検査員を務めていた1910年代、空き時間を使ってソケットの改良をしていた。我ながらよいでき栄えの試作品ができたと思い、上司の主任に見てもらったところ、「これはダメだ。この程度のものじゃ、課長にも見せられない」と軽くあしらわれた。
はじめは目頭を濡らして悲しんだが、しばらくすると憤慨し始めた。
「きっと主任には見る目がないに違いない!」
ついに幸之助は、会社を辞めてソケットを製造しようと決意する。ちょうど肺尖カタルという病気を患って、療養を余儀なくされたため、悶々と考えるうちに独立したくなったのだ。
「万一だめだったら、再び会社に戻って、生涯忠実なる従業員として働こう」
そう考えて、7年勤めた大阪電灯を辞職し、1917年、独立する。これが松下電器のはじまりだ。
創業メンバーは4人。幸之助と友人2人、そして小学校を出たばかりの妻の弟の井植歳男(後の三洋電機創業者)だ。資金はわずか100円足らず。自宅の四畳半の部屋の半分を土間にして工場とした。
1回目の苦難(22歳)
2回目の苦難(23歳)
3回目の苦難(28歳)
4回目の苦難(30歳)
5回目の苦難(34歳)
松下経営の2つの特徴