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2019年3月号記事
個人の人生、社会、国家、人類、地球そして宇宙。すべてを幸福な未来へ導くための羅針盤として、ワールド・ティーチャー(世界教師)大川隆法総裁の法話をお届けしてまいります。
大川隆法 未来への羅針盤
World Teacher's Message No.265
『人格力』講義 (5)
最後は「人格力」が仕事をする
2018年6月16日 幸福の科学・特別説法堂
ビジネス界のリーダーたちに評判の『人格力』。
それを解説した法話「『人格力』講義」を全5回にわたって掲載。
今回が最終回です。
先月号では、「器に応じて置かれる立場は変わる」という話をしました。私自身もそうした経験をしました。
映画「さらば青春、されど青春。」(実写・2018年5月公開)の中で、主人公はずいぶん不器用な人間に描かれていました。私自身も、ある意味ではそうだったかと思います。
ただ私の場合、不器用なだけではなく、むしろ「天命を試してみたい」という気持ちもあったことは事実です。
天命としてあまりに大きいものが降りてきたので、少し自惚れる気持ちはありましたが、その気持ちを自分で推し量っても、「いや、そこまでの任には堪えられないのではないか。この能力ではちょっと無理ではないか」と思うところはありました。しかし、「天運を試してみたい」というような気持ちもありました。
東大の卒業生などはみな、実力主義のところに行くのをとても嫌がります。実力に関係なく、入り口をスッと入れればそのまま偉くなれるところを一生懸命、選り好みしています。
私はどちらかというと、若いころ、「勉強は完成していなかった」と思うほうでした。「まだまだ届いていないし、人格的にも欠点が多すぎる。まだまだ時間がかかる。とてもじゃないけど、天命を受けても、こんなものでは駄目だ。もっともっと自分自身をつくり上げないと、任に堪えない」と感じていました。
そのため、むしろ実力主義のところで一旦底まで潜ってみて、それでも浮上してくるかどうか、それでも天命のほうに自分が動いていくかどうか、見てみたいと考えました。天を試すというのは、穏やかではない気持ちもありますが、実際そういう気持ちがあったことは事実です。
不器用だっただけではなくて、「それだけの器かどうかを試したい」という気持ちはありました。