2019年1月号記事
うつ、非行、虐待、自殺……
孤独に寄り添うプロフェッショナル
いつの時代にも、自分を顧みず、人のために尽くす人がいる。
彼らはなぜ、いばらの道に見える人生を歩むのだろうか。
(編集部 山本慧、山本泉、片岡眞有子)
contents
ばっちゃんのご飯に救われた / 孤独に寄り添うプロフェッショナル Part.2
Story 01
ばっちゃんのご飯に救われた
父が教えてくれた「自己犠牲の心」
「広島のマザー・テレサ」と呼ばれる生き様を支える信念に迫った。
食べて語ろう会 理事長
中本忠子(84)
Profile
(なかもと・ちかこ)1934年、広島県生まれ。80年から保護司を務める。2015年にNPO法人「食べて語ろう会」を設立し、理事長に就任。著書に、『あんた、ご飯食うたん? 子どもの心を開く大人の向き合い方』(カンゼン)がある。
肌寒い11月初め。広島市基町の市営住宅が建ち並ぶ通りを訪れると、細長い2階建ての建物が見えてきた。NPO法人「食べて語ろう会」の拠点だ。
出迎えてくれたのは、同団体理事長の中本忠子さん。「基町の家」とも呼ばれるこの場所には、居場所を失った数多くの子供たちが毎日訪れ、お腹いっぱいご飯を食べて帰る。
テーブルにはメンチカツやスパゲティサラダなどの料理が大皿に盛られていた。子供が来れば一人分ずつ小分けにし、必要な子にはさらに弁当も持たせて帰らせる。今でこそ、20人近くのボランティアが集う団体となったが、出発点は、中本さんとある少年の出会いだった。
「皆が幸せになりゃあいい」
1980年、中本さんは知人の勧めで、罪を犯した人たちの更生を支援する保護司になった。担当したのは、シンナーを吸う中学2年の少年。「どうしてシンナーやめれんの?」と聞くと、「腹が空いたのを忘れることができる」という答えが返ってきた。
少年は父子家庭で育ち、父親はアルコール中毒。まともな食事をとれず、空腹を紛らわせるためにシンナーを吸っていた。
中本さんが毎日ご飯を食べさせると、少年は1カ月も経たずにシンナーをやめ、学校に行くように。その後、仲間を連れてくるようになり、中本さんは彼らにもご飯を作った。空腹が満たされた少年たちはみな、シンナーをやめた。
愛情を込めたご飯を食べれば非行少年は立ち直る―。これが中本さんの活動の原点となった。これまで関わった子供は300人ほどに上る。
2017年に「基町の家」を開くまでは、自宅でご飯を振る舞い、最初の10年は活動資金をすべて自費で賄った。育ち盛りの子供たちのために、貯金を崩しながら、毎月10万円ほどを捻出した。
今では活動が広く知られ、寄付も集まるようになったが、すべてを賄えてはいない。それでも、子供からは1円ももらわない。子供がご飯を食べられなくなるくらいなら、自分のお金はなくなってもよい。中本さんは屈託のない笑顔でこう話す。
「救われる人がおるんじゃけ、ええじゃん。お金っていうのは、必要な時に入って来る"宇宙の法則"に従い、ぐるぐる巡ってくるもんですから。いずれはこの子たちが人の役に立つ。それで皆が幸せになりゃあね、それでいいと思いよるんです」
Story 01 ばっちゃんのご飯に救われた
Story 02 「死にたい」から「生きたい」へ
Story 03 元暴走族総長が始めた更生保護施設
Story 04 政治家として障害者と共に歩む