2018年11月号記事

なぜ歴史から消されたのか

日本神道の「創造神」
天御祖神(あめのみおやがみ)

漢字渡来以前の日本には、高度な文明と宇宙創造の「祖(をや)」への信仰があった。
歴史書『ホツマツタエ』などの「ヲシテ文献」についてまとめた。

(編集部 駒井春香)

現在、『古事記』『日本書紀』が「記紀」と呼ばれ、かつての日本のあり方を伝える歴史書とされている。しかし、古代日本の姿を伝える歴史書はこれだけではない。『ホツマツタヱ』そして『ミカサフミ』、『フトマニ』という文献が存在する。

『ホツマツタヱ』は1966年に発見された。「ヲシテ文字」という古代文字で書かれており、11万字以上、五七調の長歌体。全40アヤ(章)で構成されている。2012年12月には富士山の麓の民家で新たに『ミカサフミ』の「ワカウタのアヤ」が発見された。これらを総称して「ヲシテ文献」と呼び、専門家らによる研究が続けられている。

『ホツマツタヱ』写本

1966年に発見された『ホツマツタヱ』四十章の写本12冊。和紙に墨書きされた和綴じで、現在は国立公文書館(東京都千代田区)に所蔵されている。さらに古い完写本は滋賀県の藤樹記念館に保管されており、江戸時代中頃のものと推定される(写真提供:池田満)。

「偽書」疑惑は?

江戸時代には娯楽としてさまざまな書物が発刊された。『ホツマツタヱ』などのヲシテ文献もその仲間であり、創作ではないかという意見もある。しかし記紀の内容との比較対比や、全国各地に遺る古い伝承との一致、国語がヲシテ文字から醸創されたとみられることなどから、偽書ではなく「記紀の原書」であるという説が近年一般化しつつある。

現代語への翻訳は?

発見者の松本氏は、ヲシテ文字とひらがなを対応させ、類推を重ねることで読み方や単語の意味をあてていく手法で解読を進めた。松本氏逝去後の現在も、弟子筋の研究者などが解読を続け、さまざまな翻訳本が発刊されている。

ヲシテ文献研究家・池田満氏による翻訳書類やメモの一部。

発見者は?

『ホツマツタヱ』発見者の松本善之助氏は、ピーター・ドラッカーに手紙を書いて日本初の発刊を取りつけ、『ドラッカー 現代の経営』の編集を行うなどした敏腕編集長だった。東京都神田の古書店で偶然『ホツマツタヱ』を発見して以来、生涯をヲシテ文字の解読と研究に費やす。『ミカサフミ』『フトマニ』を発見するなど、ヲシテ文献の第一人者として多大な功績を遺した。

次ページからのポイント

ヲシテ文献研究家・池田満氏インタビュー

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