《本記事のポイント》
- 若者たちの不安や孤独感などの悩みに答えるのが宗教の役割
- オウムは集った若者を教義で救うのではなく、薬物などで洗脳していた
- 宗教の正邪を判断する目を養うことが必要
オウム真理教元代表の麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚ら、オウムが関連する一連の事件の実行犯ら計13人の死刑が執行された。これをきっかけに、オウム真理教についての話題が、マスコミやインターネット上で再燃している。
なぜ高学歴の若者たちがオウムに入信したのか
報道番組などでよく耳にするのが、「なぜ高学歴の優秀な若者たちがオウムに入信し、殺人に手を染めたのか」という議論だ。
ほとんどの場合、ジャーナリストや宗教学者などが「不安や孤独感などといった若者の心の隙間に付け入り、洗脳していた」「人生の意味について考え込むような、まじめな青年たちを惹きつけ、マインド・コントロールをしていた」という結論に導いている。
確かにオウム事件には当時、高学歴の青年信者たちが多く関わっていた。彼らが麻原死刑囚により"洗脳"され、妄信していたのは確かだろう。
しかしそもそも、人々の不安や孤独感など、生きていく上での悩みや苦しみに答え、苦しみから救うのが宗教の本来の姿だ。神仏の存在を信じ、教えを学び実践することで、人は生きるうえでの指針を得、心の平穏を取り戻し、幸福な人生を生きることができる。世界3大宗教をはじめ、ほとんどの宗教の原点はここにある。
オウムは、集ってきた若者たちに"修行"と称して激しい運動や仕事をさせ、睡眠不足の状態にさせるなどして判断能力を鈍らせ、さらには覚醒剤などの違法薬物を使っていた。外界との接触も絶ち、正常な判断ができないようにすることで、オウムこそが絶対という"洗脳"を行っていたのだ。これは宗教が本来すべきである「心の救済」とは真逆である。
「宗教=悪」という考え方は間違い
オウムは一連の事件により、本来は善きものであるはずの宗教のイメージを著しく失墜させた。「マインド・コントロールして人殺しをさせる」「怖い」「気持ち悪い」といった負のイメージは、「宗教=悪」という発想になり、日本人の宗教アレルギーを強めたと言える。そういった意味でも、オウムの犯した罪は非常に大きい。
オウムがかつては大学のキャンパスなどで勧誘を行っていたことから、現在、宗教関係のサークルの活動制限や勧誘の禁止などの措置をとる大学もある。オウム事件を"教訓"とし、「狂信的な崇拝を行うカルト団体に若者が洗脳され、悲劇をくり返さない」ようにしているのだ。
もちろん、悩める若者たちの心の隙に付け込み、殺人など数々の犯罪に手を染めるよう仕向けたオウムは絶対に許されるものではないだろう。しかし、すべての宗教が悩める若者たちの心の隙に付け込む、と思わせるような大学の規制や、オウム事件に対する報道にも問題があると言えるのではないか。
本来は人生における悩みや不安に答え、前向きに生きる指針となるべき宗教。そのような社会に有益な宗教もすべてオウムと同一視して危険なイメージを植え付ける大学関係者やマスコミ、ジャーナリスト、宗教学者は、果たして、宗教の正邪が判断できていると言えるのだろうか。オウム事件の教訓として、私たちが学ぶべきは、宗教の正邪を判断する目を養うことの大切さではないだろうか。
(駒井春香)
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